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山姥の戯言日記

うつ病 解離性障害 セルフネグレクト 骨粗鬆症の闘病・雑記ブログ「私の場合」

【回顧録4】東日本大震災

 

まだ受け入れられない3.11の現実

 

遠くの雪山

遠くの雪山 2022年3月10日撮影

 

きっと「え? まだ?」と思われる方が大半だろう。

 

私が東日本大震災を思う時、記憶は整理されずにゴチャゴチャで、思い出す映像もフラッシュバックのように次々と切り替わる。

私はまだこの暗澹たる記憶に打ち勝つどころか、整理をつけることもできずにいるのだ。

 

昨日は夕方から体調を崩し、薬を飲んで落ち着いたものの、精神的にはずっと下降気味だった。

今日も体調はイマイチである。

 

それでも過去にブログに書いた記録をご紹介。

 

www.yamauba.work

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どれも中途半端で申し訳ない。

震災の話だけを長々と綴るのは今でもできない。

 

でも書いたと思っていたのに、しっかりと書いていないことがあったので、今回は【回顧録4】として、できるだけ詳細に記録する。

 

 

 

 

海に面した高台に家があった叔父一家

 

地震後、叔父は車で孫を幼稚園に迎えに行った。

帰宅時には巨大津波がもう迫っていて、家の裏の更に高い土地へと避難。

家の1階が浸水し、停めてあった車3台が流された。

同地域では低い土地にほとんどの家があり、流されなかった家は叔父の家を含め2軒だけだった。

 

もう少し遅れていたら、叔父と孫は津波に流されていた。

津波が襲ってくる様子はまるで映画か何かのようで、現実味がなかったという。

 

タクシーの運転手をしていた叔父

 

地震発生後、避難する車で道は混み、町中の道路は大渋滞を引き起こしていた。

その中に混じっていたタクシードライバーの叔父。

津波を見るや否や、躊躇いなくタクシーを捨てて高い所へ走った。

叔父は商売道具と引き換えに、助かることができたのである。

 

家を建てたばかりだった従弟一家

 

家を流されてしまい、避難所生活を余儀なくされた。

公開されていた避難者名簿で生存が確認できた。

 

在宅避難者だった叔父の場合

 

比較的山間に住んでいた叔父は、津波被害には合わず在宅避難者となった。

ところが電気、水道などは復旧までに数ヵ月を要し、食糧の配給は1回だけだったという。

在宅避難者の支援については当初から問題視されていたが、解決策もないまま時間が過ぎていった。

 

県外まで来て無事を知らせてくれた従弟たち

 

食料調達のため県外まで自力で出てきた従弟たちは、やっと繋がった携帯電話で無事を知らせてくれた。

地震発生3日後のことである。

 

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あとがき

 

今まで自分の家中心に書いていたので、今回は親戚のことをまとめてみた。

聞いた避難所暮らしの辛さまでは書けなかった。

内情は過酷を極める。

 

更に、在宅避難者支援は今後も大きな課題のひとつである。

問題解決に前進していることを祈ろう。

 

それではまた。

 

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