私の中の自分 整理とまとめ 解離性障害の記録
しばらく解離性障害について触れていないことに気づいた。
前回、触れた記事はこちらである。
そして、もっとも深く自分に切り込んだ記事はこちら。
今回は、改めて自分の中の自分を整理し、記録する。
解離性障害「私の場合」解離性健忘などについて
最近、記憶が抜けているという事態は起きなくなってきている。
アルツハイマー型認知症の父が、誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)で長期入院し、そのまま介護施設に入所したことが原因と思われる。
ブラザーと2人暮らしになって半年以上、記憶は正常に機能しているようだ。
一応、申し述べておくが、父との別居により、症状が改善したからといって、私の中に罪悪感は存在しない。
なぜなら、私の解離性障害の原因は、半分が父が原因であると言えるからだ。
冷たい娘と思っていただいて構わない。
おそらく、それは事実である。
話を戻そう。
解離性健忘は落ち着いているが、他の症状はあまり変わりないように思える。
以前、解離性障害の症状について解説記事を掲載した。
興味がおありの方は是非ご一読を。
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解離性障害「私の場合」治療 闘病について
私の中の自分たち(自覚のないものも含め)は、外に対する問題行動を起こさない。
全てが、私自身に向かって働きかけようとする人格であることが特徴だ。
だからというわけでもないが、解離性障害に絞った特別な治療は受けていない。
それより緊急性の高い「うつ病」治療が優先されるのは当然のこと。
昨年10月頃に うつの大きな波が発生し、現在もそれを抑えることに重点を置いている。
まず、うつ病にアプローチする治療法は、私の持つ他の精神疾患、症状に良い影響をもたらしていると感じている。
主治医に「治癒(寛解)する見込みはない」と断言されるほどの重いうつだ。
これをある程度、抑えておかないと、命の危険にさらされることになる。
大げさに聞こえるかもしれないが、それがうつ病の怖さなのだ。
気が緩んでうっかり死にそうになったことが何度もある。
最近では、昨年11月にやってしまったOD(オーバードーズ:薬物過剰摂取)がそれだ。
このように、うつ病が時々暴れてしまう限り、私自身も解離性障害のことは忘れていることが多い。
現在まで、自分の知らないところで問題行動を起こしてはいないので、治療に関しても重きを置いていない。
命を守ることが先決である。
しかしながら、まるっきり放っておいているわけでもないのだ。
自分の意識の中で、密かに闘病している。
問題行動は起こさなくても、私自身には問題ある接触をしてくる他人格たち。
次は、そんな自分たちを少し整理してみようと思う。
解離性障害「私の場合」私の中の自分たち
上の記事で、私は表の主人格の他に、自覚できている4つの人格を挙げている。
また、昨年の記事では「自己否定の(強い)私」と「希死念慮の(塊の)私」を区別して書いているが、これは性質上「希死念慮の塊」に統一した方がわかり易い。
その上で、もう一度、「自分たち」を整理してみよう。
- 主人格。気が強いが冷静なリアリスト。
- 希死念慮の塊。死ぬことだけを考えていて、実行しようとする。普段は主人格に抑えつけられている。
- 能面。自我も感情もなく、痛みも感じない。限界を超えた時の自分を守る人格。コントロールできる場合もあるが、できない方が多い。
- お花畑。母の死を無視し、今も生きているかのように感じさせる。コントロールできず、1番厄介。
- 子どもの頃の自分。ただひたすら眠っているだけ。未接触。
これらが、私が自覚している自分たちである。
リアリストなので恥ずかしい気持ちもあるが、大事な記録として残したい。
また、2年半前にはこんなこともあった。
心理療法っぽく、自分の潜在意識を探ろうとして、パニック発作を起こしたのである。
幸い、軽い発作だったからよかったものの、己のアホさ加減に呆れるしかなかった。
だから解離性障害の「闘病」といっても、私の場合は自分の顕在意識の中だけでする、実に地味な作業しかないのだ。
希死念慮が浮かんでこないよう抑え、能面には出番はないぞと目を光らせ、逃げ足の速いお花畑には罵声を飛ばす…心の中だけの出来事なので、ご安心願いたい。
私の中の自分たちのまとめは以上。
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あとがき
私の解離性障害は軽い方ではないかと思う。
その分、うつ病がとんでもない強敵になってしまっているが。
まあ、愚痴を言ったところで何かが改善するわけでもなし、焦らずマイペースで病とつきあっていこう。
それではまた。
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