闘病記録 改善が見えてきたうつ病 でも簡単にはいかなかった
立冬も咲き続けるツユムラサキ 2021年11月7日撮影
しばらく闘病記録を忘れていた。
前回の記録はこちらである。
それだけ精神面が改善してきたのだろうが、うつ病が寛解に向かっているとは言えない。
今回は、ここ1週間ほどの精神面の健康について記録しよう。
アリピプラゾール(エビリファイ)の効果は絶大だったものの
7日前に書いた上の記事では、アリピプラゾールの効果について詳しく記している。
現在も、その効果が持続していることは確かだ。
意欲らしきものがあり、やりたいと思えば行動し、これがずっと続けばと思った。
しかしながら、そんなに簡単にうまくいくはずがない。
何かに集中していると、ふと、心に隙間に吸い込まれそうになる。
「隙間」という曖昧な表現しか使えないような、突発的で、一瞬の出来事だ。
本当に吸い込まれることはないが、向こうに何があるのかはわかる。
鬱(うつ)のかたまりだ。
一方、解離性障害は、常に表に出ている私の人格とともにある。
私が「私」と思う、その時々の人格。
一瞬で戻ることもあるので、敢えて意識はしない。
意識してコントロールしようとすれば、おそらくパニック発作を起こす。
一昨年だったかな?
自分の意識の深いところに潜ろうとして、とんでもない目に遭った。
後でその記事を見つけたら貼っておこう。
鬱のかたまりは心の奥にあり、解離性障害は、身体ごと私を包んでいる感覚である。
極まりなく抽象的だが、皮膚のような感覚と言ってもいいかもしれない。
解離性障害の中でも、私の特徴的な症状は、解離性健忘と離人症である。
解離性健忘は、狂人と化した母の介護・看護の影響が大きいが、よくよく考えてみると、もっと以前から生じていることに気づき、主治医には報告してある。
ちなみに母は毒母ではないので誤解なきよう。
毒父と猛毒伯母のせいで母は壊れたのだ。
私の恨みは一生消えない。
話を戻す。
離人症は自我が欠落した状態。
自分が自分であるという意識を失ってしまう。
夢の中で自分を見ているような気分になるのだ。
逆に、自分にのめり込み過ぎ、自分が見えなくなることもある。
これは解離性障害の症状かはわからないが、離人症と対を成して存在しているように感じられるのだ。
主治医には話していない。
このケースは、あまり困ったことにならないためだ。
主治医は私の鬱の状態を1番に気にかけ、私自身も1番どうにかしてほしい部分である。
なので、うつ病は主治医とのチームで闘うものあり、解離性障害は私個人の問題として受け止めている。
最近、調子が良くなっていたが、心の隙間に気づくのは、私ではない自分だ。
混乱させて申し訳ない。
気づいた自分を無視することで、私は鬱から目を逸らし続けている。
一瞬のことなので、そこまで精神的負担はない。
ただ知ってしまっただけだ。
鬱は小さくなることもなく、以前として心の奥に存在することを。
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うつ病と解離性障害の狭間
そこには混沌とした私がいる。
私たち……と言うべきか。
鬱のかたまりは心の中に感じるのに、解離性障害は脳で感じるのだ。
メカニズムはさっぱりわからない。
わかったところで治療法もないだろうけど。
どちらも心因性の同じ原因なのに、不思議なものである。
ふと気づいたら、うっかり死んでいた…なんてことにならないように、自分をしっかり見張っておかなくてはならない。
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あとがき
上手くまとまらない文章で申し訳ない限り。
万人に理解されるような文章にするのは不可能である。
だが、気づいたことは記録しておきたい。
自分の「なぜ?」を追い求めるためにも。
それではまた。