手首のねんざ完治ならず 散歩道の風景
川と散歩道 2022年3月16日撮影
右手首をねんざしてから本日で50日目となるが、いまだに完治はしていない。
まさか、こんなに長引くものだとは思ってもいなかった。
手首ねんざでこれだけシリーズを書いている。
最初など「たぶん軽傷」と軽く見ていた。
今回は50日目の経過と、最近おなじみとなった散歩の様子を記録する。
右手首ねんざ50日目 完治はまだ
完治はしていないものの、普通に日常生活は過ごせている。
右腕自体はもう重いものも持てるし、パソコンのキーボード操作も以前のスピードに戻った。
最後に残った痛みは親指の付け根である。
付け根から手首にかけて、ここが1番のポイントだ。
できないことを箇条書きにしてみる。
- 水や湯の入ったやかんを持つ
- 右手だけで厚めの本を持つ
- 毛布などを右手でつかんで引っ張る
箇条書きにしたわりに3つしか思い浮かばなかったが、雰囲気は伝わるだろうか。
要するに、ものをつかんだ形で、親指に力を入れることができないのだ。
無理にやると、手の甲側の手首全体にまで痛みが広がる。
でも激痛とかではなくて、常に底に痛みを持っている感じである。
それが無意識の行動でひょこっと顔を出すのだ。
すっごい痛いなら絶対やらないのに、これがなかなか厄介である。
とてもすぐに完治とはいかなそうだ。
これが昨日で7週間、本日で50日目の経過である。
春まだ遠い散歩道の風景
今日も厚く垂れこめた雨雲の下での散歩だった。
コースを変えようかとも思ったが、家を出た時から足腰に鈍痛があったので、いつも通りの散歩道を歩くことに。
今日はいつもより歩き、目的の橋がとても近くに感じられた。
この辺りではシジュウカラが私に警戒し、美しい声で仲間に呼びかけていた。
シジュウカラを写そうとしてもうまくいかず、代わりに突然現れた飛行機を撮影。
例によって着陸寸前である。
せっかく綺麗な色の旅客機なのに薄暗くて申し訳ない。
公園方面も一応、撮影。
あの橋を渡ったら、今度はあちらから帰るのだ。
いつになるかわからないけど。
来た道を戻る。
左側は斜面だ。
上に雑木林があり、その奥も公園になっている。
今日は、その奥の公園の方からウグイスの声が聞こえてきた。
「ふ」「きゅよ」「けきょ」
本気を出すのはまだまだ先のようである。
帰り道に見える、道路の橋げたの下。
川は、ここだけ別人のような顔を見せる。
川面を輝かせる光はどこからやってくるのだろう。
橋げたの下だけが光って見えるのが不思議でならなかった。
太陽を探す。
いた。
雨雲に隠された弱々しい姿で。
でも知っている。
雨が止めば晴れる日がやって来ることを。
鳥も魚も、橋げたの下のコウモリも皆が知っている。
もちろん私も。
だから明日も歩こう。
どこまでも続く散歩道を、鳥の歌を聴きながら。
どこかで尽きる人生の道を、川のせせらぎを聴きながら。
ん? ……何これ?
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あとがき
途中から変なスイッチが入ってしまった。
いつも似たような画像だから、つい……ということにしておこう。
あ、今日の散歩の歩数は1073歩だった。
自力で1000歩超えは初めてかな。
たくさん歩けばいいってもんじゃない。
明日はセーブしよう。
それではまた。
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