とても恥ずかしい記事を書いてしまった。
前回はお目汚し、誠に申し訳ない。
自分がバカなことは充分、身に沁みた。
もう別人格扱いはしないが、アレの言い分は理解できたし、納得できるものもあったのは確か。
でも、「死ぬまで苦しみ続ける気かよ?」って大きなお世話だ。
誰かのためなんかじゃないから。
自己満足ってのもわかってるけど、その何がいけない?
なんて、また自分とケンカ始めそうな雰囲気だけど、これは…おそらく葛藤だね。
以前は、『お花畑』は感情論で動いていると思っていたけど、よく考えればそれはこちらも同じだった。
前回、言っていたように、別人格は『能面』を始めとするその他諸々のこと。
私の中が少しすっきりした。
この重いうつ病を何とかしたいと考えてしたことだけど、自分と向き合うって難しい。
パニック発作覚悟ですることじゃないし、次はそれだけで済むかどうかもわからないんだよね。
本当にやめとこう。
知らなくていいことが、きっとあるんだ。
でもな…。
何かしなくちゃという気持ちは強くて。
やっぱり見つめ直すのは、自分の中の誰かではなく、自分自身しかいない。
申し上げておくが、私は露悪趣味があるわけではない。
以前、そう指摘された方がおられたのだ。
闘病生活を綴っていると、そう受け止める読み手も存在するということだね。
だからどうということもないが、私は私なりに、率直にあらゆることを記録していく。
そこで思ったのが、私の生きる原動力である『恨み』についてだ。
父亡き後、父への恨みが少しずつ薄れていることに気づいたのである。
気づいた時は、自分への怒りより先に、気持ちが少し楽になっていると自覚した。
そこから、新たな苦しみの始まりである。
恨みが薄れていくこと、そして自分が楽になっていることが、どうしても許せない。
でも父への恨みは、私がどうジタバタしようが、いずれ消えるものと予感している。
問題は、しぶとく生きているらしい伯母である。
アイツへの恨みだけは、生涯、決して薄れることはないだろう。
また、その話? とお思いかもしれない。
以前も散々書いたものね。
肝心なことは書けずにいるんだけど。
仕方ないのよ。
自分の内側を見ようとすると、恨みの念がドドーンと前面に居座っているわけだから。
これを除けるのは至難の業である。
しかしながら、このままでは闘病日記というより怨念日記になりそうなので、次回には、別のテーマを探して、ブログを書きたいと思う。
見つかるといいな…。
中途半端な記事で申し訳ない。
テーマ探し頑張るね。
それではまた。
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