親子の共依存 ダブルバインドの罠 アダルトチルドレン
予め申し上げておく。
うつ病は「気の持ちよう」などと思っている人は、この先読んでもいいことはないので、早々にお引き取り願いたい。
鬱(うつ)の真っただ中の一昨日、次のような記事に出会った。
こちらの記事は、藤木美奈子さんの著書『親の支配 脱出マニュアル 心を傷つける家族から自由になるための本』の内容を伝え、紹介するものとなっている。
その藤木さんの本はこちらだ。
紹介記事で概要を知ることができたので、今回は親子間の共依存について、思うところを記したい。
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藤木美奈子さんのプロフィール-経歴-著書
まずは本の著者である藤木美奈子さんのご紹介から。
藤木美奈子さんが代表理事を務める「一般社団法人WANA関西」の公式サイトより、プロフィールを以下に引用する。
経歴
・博士(創造都市/大阪市立大学)
・一般社団法人WANA関西代表理事
・元龍谷大学准教授
・元関西大学臨床心理専門職大学院(非常勤講師)
・大阪市こども相談センター、堺市子ども相談所(非常勤心理職)
略歴
貧しいシングルマザーの子どもとして全国を転々、児童虐待・DVを受けて育つ。女子刑務所刑務官を経て、1995年、雇用されずに働く女性の社会的自立を支援するNPO法人「WANA関西」を設立(現在、一般社団法人)。
現在は実践研究者として、貧困シングルマザーや精神に障がいがある方のエンパワメントを目的に、自尊感情回復プログラム「SEP」を展開、講演や研修の講師としても全国で活躍する。内閣府主催のシンポジウムやNHK番組「DVにさらされる子どもたち」出演。「親に壊された心の治し方」「傷つけ合う家族(講談社)」他、著書・講演多数。
引用:一般社団法人WANA関西
ご自身も親からDV被害を受けていたという藤木美奈子さん。
経験者だからこそ言葉には重みと説得力があり、多くの支持を受けているのだろう。
著書をいくつかご紹介する。
ノンフィクション、ビジネス書、小説など、藤木美奈子さんは幅広い分野で活躍。
そして、最新の作品がこちらである。
おもな内容は次の通り。
第1章 家族から受けた洗脳を解く
第2章 支援機関の選び方・使い方
第3章 精神医療とうまくつきあう
第4章 依存を断ち、自分を傷つけるのをやめる
第5章 自分を肯定して生きる
引用:一般社団法人WANA関西
当事者・支援者向けのヒントが満載で、回復事例も多数掲載されている。
興味のある方は是非ご一読を。
また、藤木美奈子さんの具体的な活動を知りたい方は、次のサイトをご覧いただきたい。
本来なら拝読してからご紹介したいところだが、現在の我が家の財政は火の車。
もうしばらくは本に投資できない状態が続く。
今回は序文で紹介した記事を読み、感じたことを、自身の体験と重ねて考察する。
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共依存に陥いる罠 ダブルバインドによる大人の支配
ダブルバインド(直訳:二重拘束)については以前記事にしたことがある。
こちらで自身の幼少期の体験、ダブルバインドの正体について記した。
大人の支配下にいた子どもの頃の私の状態を簡潔に説明する。
- 小学校中学年くらいに既に不眠症
- 小学校高学年から漠然とした希死念慮を抱く
- 中学から不登校が始まる
- 中学1年で未遂をやらかすが誰にも知られずに終わる
- 徐々にグレ始め、高校は進学校へ
- 高校でも不登校
- 赤血球が通常より小さいが故の鉄欠乏性貧血だと判明したのは数年前
うつ病と診断されてまだ2年にも満たないが、私は小学生の時点でうつ病になっていたと思っている。
でも当時は精神科にかかることは体裁の悪いことで、性格の問題としてしか受け止めてもらえなかった。
どの病院でどこを検査しても「異常なし」。
現代なら、すぐ仮面うつ病を疑うだろう。
※仮面うつ病とは精神面に症状が出ず、身体の不調という形で現れるうつ病のこと。
うつ病以外でも、小さい頃の私は、誰にも言えないほど異常な子供だった。
いつ大きな犯罪を犯しても不思議ではないくらいに。
普通に愛されたいと願う子どもたちとは違ったのだ。
ダブルバインドで苦痛しかない毎日で、私は現実逃避が日常となり、空想の世界に依存するようになった。
人と依存し合う「共依存」に陥らなかったのは、私が狂った子どもであったからに外ならない。
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共依存 子に対する親の無自覚のダブルバインド
まず、「共依存」とは何であるかを確認しておこう。
依存症者に必要とされることに存在価値を見いだし、ともに依存を維持している周囲の人間の在り様。
親子関係に置き換え、わかりやすく言うと、親(父or母)と子(息子or娘)がともに依存し合っている状態を言う。
母と娘のケースがもっとも多いとされる。
原因には、親の過干渉による子の支配という無自覚のダブルバインドが挙げられる。
具体的な例をいくつか挙げてみよう。
子どものすることにいちいち口を出し、親が選択権を与えない
子を心配するあまり、何かにつけ「ああしなさい」「こうしなさい」と、親は自分が正しいと思う選択を強制する。
子は自分で考えて選択する機会を奪われ、養われるはずの決断力や自立心が育たなくなってしまう。
子の選択が間違っていたら、納得のいくよう諭して軌道修正すべきだが、初めから考えさせない、考えても子の選択を否定するだけというのは明らかな過干渉である。
自分より子どもが最優先で、子どもが困っていると手助けをしてしまう
よく言われるのが、親による先回り行動。
子が困らないように悩まないようにと、子が正しい行動(と親は思っている)を取れるように、邪魔な選択肢を排除してしまう。
また、子が困っている場面に直面すると、すぐに手助けをする。
これも過干渉に該当する。
こういった親の行動は、子が自分の力で乗り越える機会を奪い、親がいなければ何もできない状態のまま育ってしまうのだ。
子が自力でどこまでできるのか、側で見守るのが最善である。
手助けはその後でも遅くはない。
子どもの世話を焼く自分に満足している
親にすれば子に良かれと思っての行動であり、過干渉という自覚を持つのは難しい。
無意識のうちに自分が理想とする子に近づくよう育て、自分が理想とする親になっていくことに満足感を覚える。
子を自分の一部であるかのように誤解し、別の人格を持った1人の人間であるという観念が欠落しているのだ。
結果、自立心を持たない子ども、自分で物事を決められない子ども、母親から離れられない子どもとなってしまうのだ。
反抗期に親の過干渉に対して「嫌だ」「うざい」と反発できる子は、共依存に陥った状態から抜け出せるだろう。
親より友人と話すことが多くなり、自分自身の価値観を見出し始めるのだ。
だが、そうでない場合、共依存を維持したまま大人になってしまう。
ともに共依存だという自覚がないためだ。
横暴な親によるダブルバインド アダルトチルドレンについて
親によるDV(心理的・面前DV含む)や親同士の不仲など、家庭が健全に機能していない環境で育った子は、心的外傷 トラウマを抱えたまま大人になることが多い。
アダルトチルドレンと呼ばれる人々である。
私自身もそうであるが、序文で紹介した記事に出てくる男性も、その可能性が高い。
典型的なアダルトチルドレンの特徴として、自己肯定感が低い、自尊心が低い、自信がないという3点がよく挙げられる。
記事に出てくる男性は、入院中の父親にどんなに横暴な振る舞いを受けても、「どうすれば父親が認めてくれるか」ばかりを考えている。
外部から手を差し伸べられても、何かと理由をつけて、その状態を維持しようとするのだ。
父親の世話ができるのは自分だけと彼は思い込み、それが自分の存在価値の拠り所となっている。
長年、そうして息子を支配してきた父親は、どんなにひどい仕打ちをしても見捨てられないことを知っている。
まさに共依存である。
共依存は「依存」と「共依存」に分けられる
前章の最後で触れたように「共依存」は特定の相手と依存し合うことである。
それに対する「依存」とは、依存する対象が人ではないケースのこと。
私はアダルトチルドレンであるとともに、解離性障害を併発しているうつ病患者である。
小さい頃の空想世界への現実逃避に始まり、絵を描くこと、アニメ、読書、漫画、映画、テレビ番組、音楽、たばこなど、年代によって依存の対象は変化した。
なぜ共依存にならなかったのかというと、私と母をうつ病になるまで追いつめた、伯母と父に根深い恨みを抱いていたためである。
今でもその恨みを原動力として、希死念慮を蹴散らしつつ生き長らえている。
父はアルツハイマー型認知症で、亡くなった母のことすら忘れてしまっているが、私は自身の病を理由に介護を放棄している。
実際に放棄に漕ぎつけたのは昨年のこと。
それまでの苦痛は言い表せるようなものではなく、いつ自死もしくは心中に至ってもおかしくない状態だった。
伯母とは数年前から絶縁状態にあり、直接的な苦痛は受けずに済んでいる。
私は「恨み」という感情を悪いものと思っておらず、むしろ正当な感情だと思っているのだ。
仕返しなどは何もできないが、恨み続けることに意義があると強く信じている。
そう、現在の私は恨みという感情に依存しているのである。
共依存からの脱出
まず、本人が共依存に陥っていると自覚しないことには脱出は不可能である。
小さい子どもが自分で気づくことは稀であろう。
大抵は、大人になって社会に出てから気づくことが多いのだ。
他人とのコミュニケーションが上手くいかなかったり、息苦しさや生きづらさを感じるようになったりと、社会生活に支障を来すようになるのである。
ただし、すべての人がそうとは限らない。
自分にとってはごく自然な生き方だと信じつつ、40代、50代になってから気づく人もいるのだ。
親は親、自分は自分と切り離して考えられるようになるまで時間が必要だろう。
自分と似た「毒親体験談」を探して読んでみるのも有効な手段である。
恨みの感情に依存して生きている私の言葉では説得力は薄かろう。
具体的に、もっと詳しく知りたい方々には、藤木美奈子さんの本を読んでいただきたい。
予想した以上に長くなってしまったが、どなたかにとって有益な情報となれば幸いである。
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あとがき
私は解離性障害なので、記憶が抜けていたり、あやふやだったり、時には自我が欠落した状態になることもある。
でも完全にではないものの介護から解放され、今は自分の人生を生きているという実感があるのだ。
解離性障害持ちのうつ病患者でも、自分の人生を得た喜びは大きい。
1人でも多くの方に、この喜びを得て実感してほしい。
それがこの記事にこめた願いである。
それではまた。
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