web
stats

山姥の戯言日記

うつ病 解離性障害 セルフネグレクト 骨粗鬆症の闘病・雑記ブログ「私の場合」

自分の人生を諦めることをやめてみた

 

お題「思い切ってやめてみた事」

 

シャクナゲ

 

大げさなタイトルかなと思ったけど、他に表現のしようがないので、このままいく。

 

自分の人生。

 

私はつい数年前まで、自分の人生というものを諦めていた。

これを説明するには「親の介護」というデリケートな話題に触れなければならない。

 

ブラックな話が苦手な方は、ここでお引き取り頂いた方が無難である。

特に介護中の方はご注意を。

 

ここから先にある話は美しい話ではなく、自身も病みながら両親を介護し続けた私の率直な言葉だ。

 

警告はした。

 

それでは、私が人生を諦めていた話から記録する。

 

 

 

 

 

記憶を失うほどの壮絶な看護 解離性障害が表出し始める

 

予め、私の記憶は不正確であることを申し上げておく。

出来事や事象についてははっきり憶えているが、それがいつのことか、まったくわからないのだ。

 

母が「うつ病」と診断されたのは、だいたい25年くらい前だったと思う。

それからは毎日が修羅場のような看護だった。

 

泣き叫ぶ、奇声を発するのはまだいい方で、皿などを外に持って行って割りまくる、裸になって外に出ようとする、刃物を持って死のうとする、刃物を持って「誰かを刺す」と言い外に出ようとする、薬を大量に飲もうとする、道路で走って来た車に飛び込もうとする、増水した川に飛び込もうとする、家(自宅)に火をつけようとする……。

 

パッと思い出しただけでこれだけある母の振る舞い。

 

これを家族で必死に止めていたのだ。

長い間……5年くらいの気もするし、15年くらいだったような気もする。

10年くらいなのかもしれない。

 

母はいつも本気なので、力も凄い。

止めるには、こちらがそれ以上の力を出さなければならなかった。

 

修羅場は1日で終わるということがなく、刃物を持った修羅場は3晩続いたように記憶している。

忘れたくても忘れられない強烈な記憶である。

 

始まったが最後、一時も目を離せない。

 

「ご家族で何とかなだめてください」

 

当時の担当医師は、私ら家族にそう言っただけだった。

言われなくても毎日のようになだめている。

私だけかもしれないが、医師に見放された気分になった。

私たち家族だけが世界から切り離されたような絶望感。

 

今思えば不思議である。

よく心中を思いとどまったものだ。

 

母の問題行動がいつ終わったのかも憶えていない。

 

私は後に、今の主治医に「解離性障害」と診断される。

平成時代の約半分が、記憶が抜けていたり、あやふやだったり、時系列がめちゃくちゃだったりする。

「解離性健忘」というらしい。

 

www.yamauba.work

 

母のうつ病だけとは思えない危険な行動の数々。

私は薬の副作用、依存症、もしくは別の精神疾患の併発を疑ったが、母亡き今となっては解き明かすことはできない。

 

私も同じクリニックに通い、治療を受けながらの看護だった。

私の解離性障害どころか、うつ病にさえ気づかなかった医師。

そのクリニックに通った時間は、まるっきり無駄だった。

 

偶然の産物だが、転院できた私はとても幸運である。

 

しかしながら、失った時間と健康は取り戻せない。

 

母は娩年はやや穏やかになったものの、介護が必要になっていた。

私はその「介護」がもう無理だと自覚しつつも、家族には言えない日々が続いた。

 

やがて母が亡くなり、ようやく私を解放してくれたと思ったが、次にはアルツハイマー認知症が悪化した父の看護・介護が待ち構えていた。

 

事実を言葉にすると、両親の介護はブラザーの献身と私の自己犠牲から成り立ったものだ。

冷たい人間だと思われてもいい。

介護家族なら誰でもしている「自己犠牲」。

 

まあ、中には「犠牲」だなんて思ったこともない! という方もおられるだろう。

それはそれで結構。

親を看るのは子として当然のことですものね。

 

だから理解してくれとは言わない。

私が「自己犠牲」と感じているのは、やれる範囲以上のことをずっとしていて、「当然のこと」の何倍も神経をすり減らし、己の病状を悪化させたからだろう。

 

いわゆる、共倒れという状態だ。

 

回避する術も知らず、私は豪快に共倒れしたのだ。

 

父の介護でまた心中を考えるようになり、思い切って主治医に打ち明けた。

即、「うつ病」との診断が下り、治療がはじめられたが、正直、手遅れである。

寛解する(治る)見込みなしとも診断されているから。

 

と、ここまで書いたら、私が人生を諦めていた理由もおわかりいただけるかと。

長くてごめんなさい。

 

人生を諦めることをやめてみた

 

自分を振り返ってみて…と言っても全部は憶えていないのだけど…やっぱりね、少しはショックだった。

人生、棒に振ったなって。

 

言い方なんてどうでもいいのよ。

もし、どんなに褒められることをしたとしても、結果は変わらない。

 

残りの人生、この不健康な心身で生きていかなくちゃならないんだ。

数年前、そう腹をくくったら、妙に気楽になって。

理窟じゃないんだよね。

 

あと何年生きるかわからないけど、諦めつつ生きるって逆に難しい。

諦めないというのは、私が認めたくない過去の人生は放り投げて、「これから」だけを見つめて生き抜くということ。

放り投げるなんて実質無理なんだけど、気概としてはそんな感じ。

 

前向きとは、とても言い難い。

 

でも自分ではいいと思っている。

 

人生を諦めないと言いつつ、あまり前向きに歩いていない人生でも。

カニ歩きでもムーンウォークでも、人生は人生だものね。

 

伝わったかな。

例え話が下手くそで申し訳ない。

 

まあ、自分らしい人生を歩んでいく、みたいな意味合いで受け取っていただきたい。

 

これでも、まだやりたいこと結構あるんだよね。

 

重度のうつ病で、昨日から尋常でなく落ち込んでいるのに、よくここまで書けたものだ。

何なんだ、この勢いは。

 

スポンサーリンク 

 

あとがき

 

途中から喋り言葉になってしまった。

この感覚、ものすごく久しぶり。

 

今日の率直度はどうだったかな。

85%くらいかな。

リハビリの成果が徐々に出てきているかもしれない。

 

ちょっと今日は抑え気味だった。

 

次は爽やかな話題を…書けるかどうかはわからないけど努力しよう。

 

それではまた。

 

ポチっとお願いします!


メンヘラ日記ランキング

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ

にほんブログ村

応援ありがとうございます!

 

お題「思い切ってやめてみた事」