解離性同一性障害への疑念と前回の記事の回収
とりあえず檻に入れといた
前回のブログは散らかしっぱなしで終わってしまい、誠に申し訳ない。
ああいった表現をすることによって、私自身の中で少し整理がつくのだ。
やはり気持ちを言語化するのは大事なことだと改めて感じた。
今回は、私の中の私たちを知り得た範囲で整理し、記録する。
私にとってはこれも闘病の一環である。
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解離性同一症(解離性同一性障害)とは
まず、解離性同一症(解離性同一性障害)とはどういうものか説明しておこう。
昔は「多重人格」と呼ばれていたものと聞けば、ご存知ない方も想像しやすいだろう。
1人の人間の中に複数の人格が現れる神経症で、個々の人格は別の性格や記憶などを持ち、性別も違うことがある。
詳しい解説を以下に引用する。
解離とは、記憶・知覚・意識といった通常は連続してもつべき精神機能が途切れている状態で、軽いものでは読書にふけっていて他人からの呼びかけに気付かないことなどが当てはまります。この解離が、非常に大きな苦痛に見舞われたときに起ることがあり、実際に痛みを感じなくなったり、苦痛を受けた記憶そのものが無くなることがあります。これは、苦痛によって精神が壊れてしまわないように防御するために、痛みの知覚や記憶を自我から切り離すことを無意識に行っていると考えられています。
解離性同一性症はこの解離が継続して起こることによると考えられています。
引用: 解離性同一症 / 解離性同一性障害 | e-ヘルスネット(厚生労働省)
予め申し述べておくが、 私は解離性障害との診断を受けただけで、解離性同一性障害であるかどうかはわかっていない。
離人症は実感としてわかるものの、別の人格がいると言い切れる自信がないためだ。
離人症についての詳細は、こちらの記事をご覧いただきたい。
解離性同一症は自分では気づきにくいと言われている。
人格が別人になっている時の記憶がないためだ。
私の記憶の欠落はほとんどが母の生前で、平成時代は実感として15年もなかったような感覚である。
母はうつ病なだけのはずだったのに、いつの間にか薬物依存に陥っていたのだ。
ただでさえ高齢者には副作用が出やすいという薬を、母は延々と処方され続けたのである。
看護・介護は壮絶を極めた。
今でも思い出したくない修羅場がいくつもあった。
ただ、その記憶も断片的なものである。
時系列で思い出すことはできないし、どれがいつの記憶かもはっきりしない。
確実に言えることは、私の記憶に欠落している部分があるということだけだ。
解離性同一症(解離性同一性障害)の原因
長い期間にわたり激しい苦痛を受けたり、何度も衝撃的な体験をすると、その度に解離が起こり、苦痛を引き受ける別の自我が形成されてしまい、その間の記憶や意識をその別の自我が引き受けて、もとの自我には引き継がれず、それぞれの自我が独立した記憶をもつようになることが発生の原因と考えられています。
引用: 解離性同一症 / 解離性同一性障害 | e-ヘルスネット(厚生労働省)
母の介護は最後のトリガーに過ぎない。
私は幼い頃、祖母と2人だけで暮らしていた期間がある。
そこに市内に住む伯父伯母夫婦が入り込んだせいで、私は小学校低学年まで、伯父と伯母を本当の両親だと思い込んでいたのだ。
それまでの私は異常で危険な子どもだった。
まだ主治医に話していないので、詳しいことは別の機会に話そう。
40代前半で亡くなった伯父はいい人だったが、伯母は諸悪の根源となる。
1番私を苦しめたのは、父の酒癖の悪さだ。
飲み始めると怖くて怖くて仕方がなかった。
直接の暴力ではなく心理的な面前DVである。
布団に入っても父が寝静まるまで眠れず、小学校中学年では明らかに不眠症になっていた。
ぼんやりとした希死念慮を抱くようになったのも、その頃。
高学年になり希死念慮はいっそう強まり、歪んだ狡猾なやり方で同級生たちを支配することで、ストレスを発散していたのだろう。
今になってそう思う。
教師は優等生の私に簡単に騙される。
大人ってチョロいと本気で思っていた。
ある日、祖母と私が2人で家にいる時、畑仕事をしていた祖母が心不全で亡くなった。
私は祖母から見えるところで縄跳びをして遊んでいたが、急に用を言いつけられ、戻ると祖母は倒れていた。
私ひとり。
近所の人が気づくまで、呼び続けることしかできなかった。
死とはこういうもの。
祖母が教えてくれた。
胸の中に洞穴ができた。
あの時の私はずーっと洞穴の中で眠っている。
希死念慮をしっかり抱き締めて。
それから鉄欠乏性貧血が始まり、同級生の支配なんてガキくさいことに興味を失った。
すべてがかったるい。
それでも学校に行かなくちゃいけない。
受けなくてもわかる授業を受けるために。
かなり簡潔にしたつもりだが、小学生時代だけでこれだけある。
ドラマに出てきそうな悪役のクソガキ。
それを地で行っていたのが私だ。
解離性同一症(解離性同一性障害)の特徴
他人から見ると、外見は同じ人であるのに、まったく連続しない別の人格がその時々で現れます。性格や口調、筆跡までもが異なりますので、性格の多面性とは別のものであることに注意する必要があります。
引用: 解離性同一症 / 解離性同一性障害 | e-ヘルスネット(厚生労働省)
「性格の多面性」
これが引っかかる。
小さい頃から性格の多面性でもって悪事を働いてきた私としては。
前回のブログを書いた私は、お花畑を別人格として扱っている。
果たしてそうか?
記憶が同じということは、ただの性格の違いではないのか?
普段の私は超リアリスト、現実逃避した時にお花畑思考になるとか。
能面は確実に別人格。
母が他界してから、どうして私の前に出てきたのか知らないけど、洞穴の子を守りたがっているように感じる。
だからお花畑の味方するんじゃないかな。
って、洞穴の子はどういう位置づけになるんだ?
ずーっと寝てるって書いたけど、逆に私が寝てるときに起きてたりして。
だいたい記憶欠落してるんだから、洞穴の様子をすべて知っているわけではないのだ。
整理していたつもりが更にとっ散らかるという結末。
ちなみに解離性同一性障害はまだ研究途上で、治療法は見つかっていない。
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あとがき
長々と語ったわりに、たいした結論も出せず申し訳…なくない。
医者でもないのにわかるわけないもんなぁ。
前回の記事の回収しなくちゃと思って書いただけだしね。
「強制終了」って何なんだよって話。
まあ、たまには羽目外しちゃうこともあるわけよ。
『青天を衝け』の感想記事挟むから、次は少しはまともになってるかと。
あと「解離性障害」の厚労省のページが削除されて、現在回答待ち。
理由次第によっては過去記事修正しなくちゃならないからね。
それではまた。
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