解離性健忘と 文化結合症候群(文化依存症候群)
いくらなんでも3日連続で庭の話題は…と思い、以前、少しだけ話した自分の記憶障害について調べていた。
ところが私の悪い癖で、どんどん横道に逸れてしまい、深く追求するまでには至らなかった。
調査は途中経過であるものの、せっかく調べたことだし、新しい知識を得ることもできたので記録しておきたい。
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私の記憶障害と解離性障害ついて
年号が「平成」になった日のことは憶えている。
私は百貨店で新人アルバイトで、「昔っぽい名前ですね」などと先輩と会話をしていた。
記憶があやふやになり始めたのは、精神疾患(主にうつ病)の母の看護・介護を始めてからである。
うつ病の看護はハードだ。
母の場合、一度火がつくと、数日間、死のうとする行為が繰り返された。
刃物を持ち出す、薬を大量に飲もうとする、家の中に火をつけようとするなど、家の中で済んでいるのならまだいい方だ。
外へ出て車に飛び込もうとする、川に飛び込もうとする、池や沼に沈もうとするなど、屋外活動も活発だったのである。
私は母より力が強いはずなのに、本気で死のうとしている人の力には恐ろしいものがある。
幸い、認知症になる前の父とブラザーがいてくれたので、大事に至らなかったに過ぎない。
これから書く母の行動は、明らかにうつ病の症状ではなく、私はある薬の副作用を疑っている。
ナイフを持って「誰かを刺してくる」と外へ飛び出そうとしたり、杖で「〇〇の玄関や窓を割ってくる」などと常軌を逸した行動をしそうになったのだ。
日中に家にある割れ物類を外で叩き割ったり、夜に外に出て獣のような奇声をあげたり。
現在の私の主治医にも確認したが、それらはうつ病の症状ではないという。
(※ただし稀に一時的に狂暴になる例あり)
わかってはいたけれど、生前の担当医は相談しても「家族でなだめてください」と返すばかり。
もう毎日が必死だった。
いつ母が暴れるかと1日中ビクビクして暮らし、晩酌する父が余計なことを言わないかとビクビクし、とにかく母と父を2人だけにすることを避けた。
なぜなら母の異常行動の原因は、十中八九、父の言動だったからである。
私は5分と同じ場所にいられないくらい落ち着きがなくなり、ついには家族と食事もできなくなり、常にひとりでピリピリしていた。
そして思ったのである。
「もう〇年の〇月」「もう私は〇〇歳」と考えると絶望するので、今が何年か、私が何歳かを忘れてしまおうと。
普通なら、そう考えても実現はしないと思うのだが、やはり私は普通ではなかったらしい。
本当に忘れることに成功したのだ。
これには心的外傷後ストレスPTSDも多大な影響を及ぼしている。
まず、いつから母の看護が始まったかがわからない。
平成の約半分が、記憶から抜け落ちているのだ。
母が施設で亡くなってから数ヵ月後、やっと今が平成の何年かと、自分の年齢を確認してみた。
いやぁ驚いたのなんのって。
今が平成何年かわからないまま、新年号になりホッとしている。
始まったばかりでとてもわかりやすいから。
記憶に関することで、現在も残っている症状は次の通り。
- まだ平成で言われると、いつのことかわからない
- いつから母の看護が始まったか記憶がない
- いつから自分が心療内科に通い始めたか記憶がない
- 他の平成の出来事も憶えていない、もしくは時系列があやふや
- 鏡を見ても自分の顔がわからない
前回の記事では「剥離性健忘」と記述したが、「解離性健忘」の方が一般的なようだ。
症状だけを見ると、私の状態に最も近いのが解離性健忘である。
だがしかし。
解離性健忘は、解離性障害の症状の1つでもあるのだ。
厚生労働省の公式ホームページで確認してみた。
✳該当ページは削除されました。
ズバッと当てはまる部分もあれば、?な部分もある。
つまり、私の記憶障害は解離性健忘と思われるが、解離性障害であるかどうかはグレーゾーンなのだ。
やはり主治医の裏取りが必要。
元々そのつもりだったのでいいのだが、そのページで初めて聞く病気の名前を見つけたので、次はその話題を。
出展:解離性障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
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対人恐怖症(社交不安障害)の原因は日本の文化?
皆さんは「文化結合症候群(文化依存症候群)」という言葉をご存知だろうか。
特定の地域に多く発する、特定の病のことを言うらしい。
いろいろ検索してみたが、こちらの記事がわかりやすかった。
記事内にはこうある。
視線恐怖症も含めた対人恐怖症は、日本における文化依存症候群に含まれていて、海外でも「taijin kyofusho」と表記します。
海外に当てはまる言葉がないということは、日本独自のものであると言える。
私は知らなかったので驚くと同時に、深く納得することもできた。
「同調圧力」という言葉を最近やたらと聞くようになったが、まさにこれこそ日本文化の暗部と言えよう。
他国にはない優れた素晴らしさもありつつ、大きな問題点もある。
どの国にも共通だとは思う。
でも私は日本人だ。
もっと個性を認め合える、生きやすい国になってくれることを願う。
出展:日本の社会・文化から生まれる「対人恐怖症」…心を支える小さな工夫 : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)
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あとがき
自分の記憶の話を久々に詳しく書いた。
こうして折に触れて思い出すことは、私のような人間には必要だとつくづく感じる。
ちなみに「記憶障害」だけで検索すると、認知症に関する検索結果でほぼ埋め尽くされていた。
うつ病や不安障害は様々に併発していることが多く、正確な診断も難しいものと思われる。
薬も合う合わないがあるし、最適な治療を受けている人はどれぐらいいるのだろうか。
ちょっと今回はかたい話になったかな。
前半の話題で誤解を受けたかもしれないが、私は少しも母を恨んではいない。
元凶の父は別であるが。
そんな感じで今回は締めよう。
それではまた。
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