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山姥の戯言日記

うつ病 解離性障害 セルフネグレクト 骨粗鬆症の闘病・雑記ブログ「私の場合」

恨みの感情について語る重めの日記

 

 

GW中に爽やかな話題が書けなくて申し訳ない。

頭の中の整理として、気分が落ちている今こそ綴っておきたい。

心の重さをそのままに。


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両親の死後、全てが重く感じられる心の中にあり、唯一、以前より軽くなっている感情がある。

 

恨むという感情だ。

 

認めたくないのだが、事実なので、これも受け入れなくてはならない現実のひとつなのだろう。

 

過去に、自分が持つ恨みについて、何度か触れたことがある。

 

幼い頃から受けてきた、伯母や父からの DVへの恨みである。

直接の暴力ではないが、子どもが精神を病むには充分な仕打ちを受けた。

それは非力な母の存在もあり、常にダブルバインド(二重拘束)の様相を呈していた。

 

逃げ場がなかった。

 

ただじっとして、過ぎ去るのを待つしかないのだ。

 

辛いなんてものではない。

 

子どもの頃から、この世から消えたい気持ちのまま生きてきた。

 

誰にも言わなかったし、外からは幸福に見える家族だったろうと思う。

 

母が亡くなった後、伯母と父への恨みは最大限にまで膨れあがった。

同時に、己への自責の念にも駆られ、業火の中に身を置く苦しみが始まったのである。

 

しかし、父も亡くなった現在、業火は意識しなければ感じられないほど、距離感が遠くなっているようなのだ。

決して消えてはいないのに、直接的な温度がかなり薄れている。

 

原因をずっと考えていたが、恨みの感情によるものらしい。

 

恨みはずっと衰えない感情だと思っていたのに、父へのそれが変化したためだ。

 

或いは自分を守る何らかの働きかもしれない。

 

恨みを持っている状態は、とてもストレスになる。

消したくても消せないし、頭から離すことも容易ではない。

 

とても苦しいのだ。

 

辛くて辛くて、そんな自分を許せなくて、随分と呪った。

恨みの対象に、いつしか自分も加わっていたのだ。

 

それなのに、今は。

 

重い重いと言いつつも、以前より、心はかなり楽になった。

 

そのことが罪悪感となり、また別の大きな苦しみになっている。

 

はっきりと核心の部分を書いてしまおう。

 

結論を言うと、私は両親の死を待っていたのだ。

誤魔化しようがない。

 

毎朝のように、2人が元気でいるかのような錯覚に陥るのは、その事実から逃げたい心の働きに相違ない。

2人の死を受け入れられずに混乱しているのも、そのせいかもしれない。

 

確実に待っていたのに、認めたくない拒否感の強さ。

 

打ちのめされてダウンしてしまった。

ブログが書けなくなるほどのダメージだった。

 

現在、書けているのは、そのダメージに慣れてきたためである。

 

でも、完全復活にはまだ遠い。

 

コメントをいただいてもお返事できないし、皆様のサイトにも伺えていない。

SNS等も放置中である。

 

今日は核心部分を吐き出せたので、精神的に少しはプラスになってほしい。

 

実際は、恨みの感情はまだ残っている。

これも仕方がないことだが、きれいに消え去ることなど、一生ないだろう。

 

うつ病解離性障害などと一緒に、命尽きるまでつきあう覚悟である。

 

長々と綴ったが、うまく書けたかはわからない。

 

先日、介護について記した時に、触れられなかった事実を書けてよかったとは思う。

 

最後まで読んてくださった皆様に御礼申し上げる。

本当にありがたい。

 

次はどんな話題になるか未定だが、重い記事を続けるつもりはないので、ご安心いただきたい。

 

それではまた。