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山姥の戯言日記

うつ病 解離性障害 セルフネグレクト 骨粗鬆症の闘病・雑記ブログ「私の場合」

介護を終えて 両親への思い

 

 

昨日の記事の続きのようなものになる。

ただし、今回は少しだけ重いかもしれない。

 

うつ病と腰の痛みで苦しんだ母。

アルツハイマー認知症で末期は誤嚥性肺炎を繰り返した父。

 

母の他界後にブログを始め、2人の介護についてはこれまでたくさん書いてきた。

 

昨年、父も亡くなり、来月で1年になる。

 

今まで何度か書いているように、私はいまだに母の死を受け入れられずにいて、実は、父に対しても同じような感覚でいるのだ。


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毎朝、起床直前に微睡んでいる時、家の中に両親がいる気配を感じる。

 

父は介護中の父だったり元気な頃の父だったりするが、母はほとんどが元気で優しかった頃の母なのだ。

 

幸せな気分になるとともに、とてつもない罪悪感を覚えつつ、覚醒する。 

慣れたとはいえ、我ながら自分可愛さに呆れるし、目覚めて落胆と安堵の両方を感じる自分の心に、病がこじれている強烈な自覚を思い知るばかりだ。

 

受け入れられない。

 

それが心を苛む最大の理由なのだろう。

 

今の自分を受け入れるというのは、私にとって困難極まりないことなのである。


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時間が解決してくれる気もするが、特に強い後悔の念は深く心に刻まれている。

 

母の介護で共倒れしてしまい、充分な介護ができなかったばかりか、最後はどす黒い闇に沈み、病院や施設にも行けなかった。

 

父の時に闇は更に濃さを増し、最後の方は介護放にまで追い込まれた。

 

もう自分を始末してしまいたかった。

役に立たないだけならまだしも、害になっていたのだから。

 

情けなくてどうしようもなかった。

その思いは両親の死後も薄れることはない。


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だから何も考えない時間が必要なのだ。

 

考えても過去は取り戻せない。

 

何もかもやり直しなどできないから。

 

後に遺された、この身体と心で生き続けるしかない。

 

そのことが少しだけ贖罪になるかもしれないと思うのは、やはり自分が楽になりたい逃げの思考に陥っているのだろう。

 

楽になりたいと思うこと自体は悪いことではない。

ただ、不可能なのに、無理に目を背け続けるのも限界があり、精神的にかなりの負担にもなる。

 

自分の問題から目を背けない。

 

どれだけ難しかろうと、逃げずに見つめていかなくてはならないのだ。


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と、理屈ではよくわかっている話だ。

実行できたらどんなにいいだろうか。

 

頭の中の再整理はできたけど、結論はこんなものである。

 

本来はあまり触れたくない部分だが、触れられただけ今はマシかもしれない。

 

全く薄れない過去の負の記憶は厄介だ。

スパイラルに陥ることもしばしばである。

 

きっと、私はこのまま歳を重ねていくのだろう。

 

絶望はないが、諦念はそこそこ抱いている。

 

これからは自分の人生を生きると変な気合いを入れていたのだけれど、こんな人生も悪くないと思い始めてもいる。

 

解離性障害にまでなってしまい、記憶もあちこち抜け落ちているのも、私らしい人生なのかもしれないからね。

 

こんな風にちょっとずつ受け入れていこう。

 

なんとかプラス思考っぽくなったかな。

 

介護の話で暗くなった方がいたらごめんなさい。

介護の数だけ状況や考え方は違うので、あまり身につまされないようになさってね。

 

今回はわりと穏やかに書けた。

 

それではまた。