ブログを再開して半月以上が過ぎた。
スマホの入力には慣れてきたものの、まだスピードは遅いと感じる。
実は、小説もスマホで書き始めようかと考えているのだが、無謀だろうか。
先輩のきしべのあざみさんは、スマホで、しかも片手で書いていらっしゃるという。
しかも、タイピングがとてつもなくお速い。
時間さえ気にしなければ、私にもできないことはないだろう。
この際だから挑戦してみることにする。
頭の中は、まだすっかり整理されたわけではない。
それでも、ブログを書いているうちに、少しずつ晴れ間が見えてきた。
心で感じるものは、依然として抽象的で重苦しい雰囲気がある。
気分は軽めでも、見つめていると深刻な気持ちになってくるのだ。
先日書いた、恨みの感情以外にも、まだくすぶっている何かがあるらしい。
突き止めたい思いもあるのだが、ダメージを喰らいそうなので、今は見ないふりをしている。
自分と向かい合うということは、ものすごくエネルギーの要る作業だ。
今はまだ心の体力も耐性も万全ではない。
だから、自分を受け入れるという目標も、道半ばで足を止めている状態である。
精一杯やってこれなので、仕方がない。
頑張り過ぎて、パニック発作など起こしては、元も子もなくなる。
パニック発作は本当に怖い。
しばらく遠ざかっているが、二度と御免被りたいものだ。
自分を守るのは自分しかいないので、その辺はバランスを取っていきたい。
何においても無理をしないことである。
これも先日書いたのだが、毎日の時間を愛しく感じながら生きるということ。
別にハッピーでなくても、楽しい瞬間ばかりでなくても、それは可能なことである。
平凡な生活で淡々と時間が過ぎようと、受け入れた人生だからなのかもしれない。
振り返れば、平凡な日々などないに等しい生活を送ってきた。
思い出せない記憶も多いが、思い出せるものだけでも充分に非凡であった。
抜けている記憶は、おそらく思い出さなくてもいい記憶だろう。
思い出しても、自分では受け止められない気がする。
解離性障害に関しては、特に専門的な治療を受けていないので、このままがいいのだろうと思う。
精神的なものに限らず、病は実に千差万別である。
解離性障害と診断されていても、私の場合は日常生活に支障かない。
だから放置していられる。
うつ病の方が深刻なので、それどころではないという部分もあるし。
私のセルフネグレクトは、そのうつ病の中に含まれていると自覚している。
全快(寛解)はあり得ないけど、少しは緩和されることを望むものだ。
現状維持が続いている今は、そんな小さな望みを抱いている。
頭を整理しながら、長々と綴ってしまった。
言葉が尽きない。
今回は苦痛については触れなかったが、また書く機会もあろうかと思う。
ちなみに、今日はとても穏やかな気持ちだ。
ブログを書いているからだろう。
もっと言葉を研ぎ澄ませたい。
それには書き続けるしかない。
いくら書いても苦にならないのは、本当に幸せなことだと思う。
今日はここまでにしよう。
それではまた。