鬱の塊が自分を記録したブログ こっちが私
いつもの風景 2021年5月28日撮影
鬱(うつ)の波がやってきた。
原因のようなものは特にない。
自然に発生する。
今回はこの私のままでブログに記録する。
スポンサーリンク
気分が沈んでどうしようもない
午前中の空 2021年5月28日撮影
起きた時はご覧のような空模様で、雨が降っていた。
食事をして朝の薬を飲んだが、何かおかしい。
Twitterをチェックしていると倦怠感が現れ、久々に気絶するかのように眠ってしまった。
2時間前後だったと思う。
窓の外を見ると、嘘のように晴れていた。
でも私の中の違和感は残ったまま。
鬱である。
なかなかの頑固者だ。
こうなれば時間が過ぎるのを待つしかない。
気が重かったが、せっかく晴れたので、デジカメを持って外へ出てみた。
目に緑が飛び込んでくる。
暑くもなくちょうどいい気温。
ホッとした爽やかな気分になったが、それも一瞬だった。
私はデジカメで画像を撮っている時は、無心になれる。
とりあえず撮影開始。
盆栽や鉢植えのゾーン。
私には雑草との区別がつかない。
紫色のつぼみ。
今日はやたらと蕾を見かけた。
テイカカズラの小さい花。
川の近くまで行ってみた。
これまでないくらいに雑草たちが伸びている。
川だと言われなければ、ただの原っぱに見えるかもしれない。
午前中にアオサギが舞い降りるのを見たことを思い出した。
過去のアオサギ画像。
アオサギは川に舞い降りたが、雑草の方が背が高くて着地点が見えなかった。
と、ここでブラザーから声がかかった。
用事ででかけるから家の中にいてくれと。
鍵を開けたまま、認知症の父を1人置いていくわけにはいかないのだ。
無心タイム終了。
最後に撮ったのは真上の空。
こんなに生き生きとして奇麗なのにね。
業火に包まれた私の心は少しも動かなかった。
母(故人)の気配を感じなくなった
ここ2日か3日くらいのことだけど、目が覚める時に感じていた母の気配がない。
やっぱりこの記事のせいかな。
自分で自分に思い知らせるように書いた。
私が認めなくても母は戻って来ない。
二度と会えない。
今でも病む前の母がいるって言い張るのは、罪悪感に押し潰されて耐えられなくなった果ての私。
この私とのせめぎ合いは一生続くだろう。
受けて当然の罰だ。
むしろ生ぬるいくらい。
そう、もっと苦しめ。
耐えきれなくなっても引き戻してやるから。
母がきっと元に戻ると信じて、できること以上の介護を無理してやってた。
まったく褒められることじゃない。
無知だっただけだ。
その無知が……
そこまでにしとけ、だってさ。
過保護な能面女が。
オヤジの介護から70%くらい解放されたのに、なんで消えない?
100パー解放されるまでいるつもりかよ?
邪魔くせえ。
母がいるっつってるお花畑を野放しにしとけってか?
ばっかじゃねえの。
いいか、生身のこの私が本当の自分だ。
今キーボード叩いてる自分。
哀れんでんのか?
ふざけんな。
おまえの役目なんて無駄だったんだ。
哀れなのはおまえの方。
さっさと消えな。
あ~……トランス状態か?
私はパニック発作なんて起こさないよ。
あれはヤワなお花畑。
あ、おまえの役目って、記憶もか。
私もお花畑も抜けてる記憶、おまえ全部知ってんだよな。
別に思い出したって何も変わらないから。
とっくにゲームオーバーしてんだよ。
ん、ぼーっとしてきた。
疲れんだよ、生身の自分って。
きっちり投稿してから寝るよ。
だから…おまえも寝ろ。
消えないなら寝ろ。
強制終了。
スポンサーリンク