今週のお題「鬼」 様々な角度から鬼を見てみよう
節分が2月2日なので、立春も今日かと思ったら明日だった。
今週のお題は「鬼」ということで、先日、自分を「鬼」と言い切った私としてはスルーできないところである。
昨今は「鬼」の使い方も多様化し、私なども「鬼のように甘い(鬼甘)」などと書くことがあり、表現法の1つとして気に入っている。
日本語の乱れと感じる方もおられることは承知の上だ。
今回はその「鬼」について、私なりの解釈を記そうと思う。
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良い鬼なんているの?
「鬼は~外!」
固い豆を投げつけられ、毎年追い出される鬼たち。
一般的に、鬼は悪いものの象徴であり、悪い意味で使われることがほとんどだ。
物語でも退治されたり、懲らしめられたりと、人に害をなすものとして古くから恐れられている。
しかしである。
ご存知の方も多いと思うが、昭和初期に『泣いた赤鬼』という物語が作られた。
小学校の教材にもなったようなのだが、私がこの物語を知ったのは大人になってからである。
ご存知でない方には是非読んでいただきたいので、あらすじなどは書かずにおきたい。
もし小学生の頃に読んでいたら、私はどんな感想を抱いたのだろうか。
読書感想文で賞をいただいた『車輪の下』は、中学生以降に読んでいたら同じ感想を持てただろうか。
本に触れる度、私は自分の心の在り方に、そんな風に思いを馳せるのだ。
きっと違うはず。
いつも、その答えに行きつく。
大人になってから知った『泣いた赤鬼』も、思い出す度に気持ちが違うのだ。
童話は、大人こそ読むべきだと私は思う。
特に『雨ニモマケズ』の詩で有名な宮沢賢治の著書を、童話というジャンルに当てはめることに、私は違和感や抵抗を覚える。
『銀河鉄道の夜』もだが、もっとも大人に読んでほしいと思うのは『なめとこ山の熊』だ。
大人だからこそ、理解を深めることができる物語。
鬼でなくて申し訳ないが、お子さんがおいでの方などには是非、一緒に読んでいただきたい。
絵本でなくても出版されているはずである。
おすすめ本の紹介になってしまった。
次の章ではしっかりと「鬼」の話をしよう。
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鬼とは何なのか?
仏教的な解釈で言うと…と言っても、私の大雑把な解釈での話である。
検索すると、まず閻魔大王の下っ端で、地獄界の獄卒だという答えが出る。
仏教の概念には輪廻といものがあり、人は前世の業(ごう)を持って生まれ、今の人生をどう生きるかで来世が決まるという教えがある。
もし宗派によって違いがあったら申し訳ない。
あくまで私が読んだ本からの狭い知識でしかないので、ご了承いただきたい。
その輪廻の中に鬼が存在する。
餓鬼道と呼ばれる世界にいる、常に飢えた鬼たちである。
また、邪鬼という解釈のものもいた。
人が自分の業によって輪廻転生する世界は6つあるという。
また、人は生きながらにその6道を行き来するという教えもある。
どちらにせよ、私の人生観とは相いれぬものだ。
前世の自分のせいで、現世で苦しんでいるというのか?
それで済む話?
前世の自分 出てこいやあああ!!!
と、叫ばざるを得まい。
6道に無理に当てはめるとすれば、私はずっと闘い続ける修羅道を生きていることになる。
また、天災や疫病が悪鬼(あっき:鬼の総称)の仕業であると古くから伝えられてきたが、現代社会には通用しない話である。
伝統行事・芸術・遺産として残していくことには賛成だ。
でも震災や新型コロナウイルスの流行は「悪鬼の仕業」では済まない。
地球規模の自然の摂理からすれば、地震や災害は起こるべくして起こった現象であり、新型コロナウイルスに至っては人災なのではなかろうか。
このように、鬼の存在とは、自然の摂理やメカニズムに思いが及ばず、信仰にすがるしかなかった時代の遺物である。
と、私は考える。
次は、別の視点から鬼を見てみよう。
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鬼は人間のなれの果て?
これが私には1番ピンとくる考え方である。
もちろん、人間にいきなり角が生えてくるわけではない。
極悪非道な者、あるいは権力者にとって都合の悪い存在。
平安期には、既にそういった者たちを鬼扱いしていたようだ。
これは現代にも通じるものがある。
「こっ、この鬼めが!」
とか、
「鬼…あんたなんて鬼よ!」
なんていう台詞は芝居ではあっても、現実生活で使ったこともなければ聞いたこともない。
でも言われる相手はほぼ人間だ。
鬼嫁にしても「鬼のように怖い」人間の嫁である。
仕事の鬼も同様で、使いようによっては畏敬の念さえ感じるだろう。
私も大昔、心の中で「鬼編集長」と呼んでいた人がいた。
鬼のように怖いが、畏敬の念を抱かせる人でもあったのだ。
現代の方がかなり気軽に使われている。
私は普段から、気構えだけは鬼であるよう心がけている。
家族を守って生きていくには必要な気構えだ。
だから平気で自分を「鬼」だと言える。
人間のなれの果てというより、人間そのものといった方が近いかもしれない。
自分の胸に手を当てて、心の内側を広く見渡してみてほしい。
どこかに、角を隠そうと必死な生き物が棲みついてはいないだろうか。
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あとがき
冒頭に書いた「鬼のように甘い」は食べ物を想定したものである。
「超○○」の進化系といっていいかどうかはわからないが、度を越したもの、常識はずれな場合に使用される。
その昔、古畑任三郎がスイーツを食べながら、「親の仇(かたき)みたいに甘い」と文句を言っていて、三谷幸喜さんの表現力に感服したものだ。
いろんな観点から書くつもりが脱線気味の部分もあり。
その点は反省している。
ただひとつ言える事実。
私は鬼である。
それではまた。
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