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山姥の戯言日記

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良い鬼 悪い鬼 仕事の鬼 鬼嫁 あなたはどんな鬼?

 

今週のお題「鬼」 様々な角度から鬼を見てみよう

 

鬼の仮面の花嫁

 

節分が2月2日なので、立春も今日かと思ったら明日だった。 

今週のお題は「鬼」ということで、先日、自分を「鬼」と言い切った私としてはスルーできないところである。

 

昨今は「鬼」の使い方も多様化し、私なども「鬼のように甘い(鬼甘)」などと書くことがあり、表現法の1つとして気に入っている。

日本語の乱れと感じる方もおられることは承知の上だ。

 

今回はその「鬼」について、私なりの解釈を記そうと思う。

 

 

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砂曼陀羅 中編: サマンサラ 

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砂の曼陀羅: 後編

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良い鬼なんているの?

 

「鬼は~外!」

 

固い豆を投げつけられ、毎年追い出される鬼たち。

一般的に、鬼は悪いものの象徴であり、悪い意味で使われることがほとんどだ。

 

物語でも退治されたり、懲らしめられたりと、人に害をなすものとして古くから恐れられている。

 

しかしである。

ご存知の方も多いと思うが、昭和初期に『泣いた赤鬼』という物語が作られた。

泣いた赤鬼 (絵本)

泣いた赤鬼 (絵本)

  • 作者:浜田 廣介
  • 発売日: 2011/11/30
  • メディア: ムック
 

  

小学校の教材にもなったようなのだが、私がこの物語を知ったのは大人になってからである。

ご存知でない方には是非読んでいただきたいので、あらすじなどは書かずにおきたい。

 

もし小学生の頃に読んでいたら、私はどんな感想を抱いたのだろうか。

読書感想文で賞をいただいた『車輪の下』は、中学生以降に読んでいたら同じ感想を持てただろうか。

本に触れる度、私は自分の心の在り方に、そんな風に思いを馳せるのだ。

 

きっと違うはず。

 

いつも、その答えに行きつく。

大人になってから知った『泣いた赤鬼』も、思い出す度に気持ちが違うのだ。

童話は、大人こそ読むべきだと私は思う。

 

特に『雨ニモマケズ』の詩で有名な宮沢賢治の著書を、童話というジャンルに当てはめることに、私は違和感や抵抗を覚える。

銀河鉄道の夜』もだが、もっとも大人に読んでほしいと思うのは『なめとこ山の熊』だ。 

なめとこ山の熊 (ミキハウスの絵本)

なめとこ山の熊 (ミキハウスの絵本)

 

 

大人だからこそ、理解を深めることができる物語。

鬼でなくて申し訳ないが、お子さんがおいでの方などには是非、一緒に読んでいただきたい。

絵本でなくても出版されているはずである。

 

おすすめ本の紹介になってしまった。

次の章ではしっかりと「鬼」の話をしよう。

  

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鬼とは何なのか?

 

仏教的な解釈で言うと…と言っても、私の大雑把な解釈での話である。

検索すると、まず閻魔大王の下っ端で、地獄界の獄卒だという答えが出る。

 

仏教の概念には輪廻といものがあり、人は前世の業(ごう)を持って生まれ、今の人生をどう生きるかで来世が決まるという教えがある。

もし宗派によって違いがあったら申し訳ない。

あくまで私が読んだ本からの狭い知識でしかないので、ご了承いただきたい。

 

その輪廻の中に鬼が存在する。

餓鬼道と呼ばれる世界にいる、常に飢えた鬼たちである。

また、邪鬼という解釈のものもいた。

 

人が自分の業によって輪廻転生する世界は6つあるという。

天道・人間道・修羅道畜生道・餓鬼道・地獄道

また、人は生きながらにその6道を行き来するという教えもある。

どちらにせよ、私の人生観とは相いれぬものだ。

 

前世の自分のせいで、現世で苦しんでいるというのか?

それで済む話?

 

前世の自分 出てこいやあああ!!!

 

と、叫ばざるを得まい。

6道に無理に当てはめるとすれば、私はずっと闘い続ける修羅道を生きていることになる。

 

また、天災や疫病が悪鬼(あっき:鬼の総称)の仕業であると古くから伝えられてきたが、現代社会には通用しない話である。

伝統行事・芸術・遺産として残していくことには賛成だ。

でも震災や新型コロナウイルスの流行は「悪鬼の仕業」では済まない。

 

地球規模の自然の摂理からすれば、地震や災害は起こるべくして起こった現象であり、新型コロナウイルスに至っては人災なのではなかろうか。

 

このように、鬼の存在とは、自然の摂理やメカニズムに思いが及ばず、信仰にすがるしかなかった時代の遺物である。

と、私は考える。

 

次は、別の視点から鬼を見てみよう。 

 

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鬼は人間のなれの果て?

 

これが私には1番ピンとくる考え方である。

もちろん、人間にいきなり角が生えてくるわけではない。

 

極悪非道な者、あるいは権力者にとって都合の悪い存在。

平安期には、既にそういった者たちを鬼扱いしていたようだ。

これは現代にも通じるものがある。

 

「こっ、この鬼めが!」

 

とか、

 

「鬼…あんたなんて鬼よ!」

 

なんていう台詞は芝居ではあっても、現実生活で使ったこともなければ聞いたこともない。

でも言われる相手はほぼ人間だ。

 

鬼嫁にしても「鬼のように怖い」人間の嫁である。

仕事の鬼も同様で、使いようによっては畏敬の念さえ感じるだろう。

私も大昔、心の中で「鬼編集長」と呼んでいた人がいた。

鬼のように怖いが、畏敬の念を抱かせる人でもあったのだ。

現代の方がかなり気軽に使われている。

 

私は普段から、気構えだけは鬼であるよう心がけている。

家族を守って生きていくには必要な気構えだ。

だから平気で自分を「鬼」だと言える。

 

人間のなれの果てというより、人間そのものといった方が近いかもしれない。

自分の胸に手を当てて、心の内側を広く見渡してみてほしい。

どこかに、角を隠そうと必死な生き物が棲みついてはいないだろうか。

 

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あとがき

 

冒頭に書いた「鬼のように甘い」は食べ物を想定したものである。

「超○○」の進化系といっていいかどうかはわからないが、度を越したもの、常識はずれな場合に使用される。

その昔、古畑任三郎がスイーツを食べながら、「親の仇(かたき)みたいに甘い」と文句を言っていて、三谷幸喜さんの表現力に感服したものだ。

 

いろんな観点から書くつもりが脱線気味の部分もあり。

その点は反省している。

 

ただひとつ言える事実。

私は鬼である。

それではまた。

 

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