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山姥の戯言日記

うつ病 解離性障害 セルフネグレクト 骨粗鬆症の闘病・雑記ブログ「私の場合」

ショートステイに芽生えた不安 認知症の父とうつ病の私

 

認知症の父とうつ病の私の記録 ショートステイ 

 

自宅の庭

 

認知症の父は昨日から1泊のショートステイ、ブラザーは今日は仕事で他県へ。

 

いつもなら父が帰ってくる前に帰宅しているブラザーだが、今日は道が混んでいて遅くなりそうとのことで、急遽、私が父の出迎えをすることになった。

 

そこで初めて知ったこと、気づいたことがあったので、今回は父とショートステイに関して記そうと思う。

 

 

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認知症の父とうつ病の私

 

最近、読者になってくださった方々もおられるので、まずは我が家の事情についてサラッとおさらいを。

 

時々、従兄弟の話題も出てくるため、ブログでは兄弟をブラザーと呼んでいる。

目が滑らないようにするための滑り止めみたいなものだ。

 

さて、私がうつ病であることはほとんどの読者様の知るところかと思うが、診断のきっかけは父の看護・介護である。

 

今日のようにブラザーが遠出する日は、以前は私ひとりで父の世話をしており、その状態を「ひとり介護」と表現していた。

 

前夜から極度の不安で精神的に不安定になり、よくそのことをブログに綴っていたものだ。

私がうつ病(当初は介護うつ)と診断されても、経済事情により、どうしても父と2人で留守番をするしかなかったのである。

 

今年になって精神障害者保健福祉手帳を申請したところ、なんと障害等級が1級という最上級の状態であると認定されたのだ。

 


もちろん障害年金も申請し、やっと受給できるようになったのは6月だったと記憶している。

予想より少額ではあったが、このおかげで生活が一変した。

 

ブラザーの遠出仕事は月に4~5回あり、月イチ程度ならショートステイ(施設に泊まりで預けられるサービス)を利用できる程度だったのが、毎週末、利用できるようになったのである。

 

これで私はやっとひとり介護から解放された。

 

薄情な言い方に受け止められるかもしれないが、私は追い詰められ、非常に危険な状態にあったのである。

 


とにかく早く起きなければならないので、前夜は長時間眠ってしまう睡眠導入剤を飲むことができない。

結局、眠れないまま徹夜でひとり介護突入というケースも一度や二度ではなかった。

 

それでも父の世話ができていた頃はまだマシで、最終的には上の記事のような「介護放棄」状態になりつつあったのである。

「もういいや」とか「罪悪感すら感じなくなった」などとブログに書きつつも、実際は自己嫌悪と罪悪感の塊が常に胸の奥に存在していた。

 

亡き母の看護・介護の方が言葉では言い表せられないほど壮絶で、その頃から私は同じ状態にあったのだが、の担当医は私をうつ病ではない」と言い、「娘なんだから介護はしないと」と説教までかます始末。

 

病院を替えてからも同じことを言われることを恐れ、医師にはなかなか本心を打ち明けられなかった。

母の状態の悪化に比例するように父の認知症も進行し、母が亡くなってからは一気に進んでしまった。

 

休む暇もなく、今度は目が離せない父の看護・介護となったのである。

2年以上、自分を騙し騙し過ごしてきたが、とうとう限界の時が訪れた。

 

昨年の9月20日、私はようやく診察で己の胸の内と、本当の体調を医師に告げたのである。

 

「母の時もそうでしたが、思い詰めて物騒な思いにとらわれることがあります。心中だとか、自分だけ死のうとかいうような…」

 

すると、医師は顔色を変えてはっきりと断言した。

 

「介護うつだね」

 

同じことを伝えても、前の医師とは大違い。

これならもっと早く言うべきだったと後悔したほどの衝撃だった。

  


子どもの頃から希死念慮が常にあったことも伝えた。

 

希死念慮(きしねんりょ)とは、この場から消えたいという瞬間的な思いから、死んでしまいたいという重い気持ちまで、幅広い意味を持つ言葉である。

「死にたい」連発の表現はブログに綴るにふさわしくないので、その言葉を用いるようになった。

 

サラッとのつもりが長くなってしまった。

ともあれ、これが父の認知症と私のうつ病事情である。

 

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ショートステイは winwin だったはずが…

 

デイサービスは週に1回利用しているが、私の重度のうつ病発覚に伴い、ショートステイも視野に入れることとなった。

 

私は複数の人と話をするのが聴覚的にまだ困難なので、ケアマネさんや市の担当者、施設関係者との話し合いはすべてブラザーに任せている。

 

最初にケアマネさんが連れてきてくれた施設関係者は、

「〇曜日は無理な状況です」

「お試しショートステイも2~3ヵ月待ちの状態でしてねぇ」

「(サービス料が)お高いんですよ~」

といった感じで話にならず、他の施設を当たってもらうことになった。

 

そして、ケアマネさんが探してくれたのが今の施設である。

 

 

元々商売人であり、仕事以外でも広く社会と関わってきた父には、知らない人たちの中に入ることは苦ではなく、認知症になっても変わらぬ様子だった。

 

順調にショートステイの日程も決まっていき、少し気分が軽くなった私はこんな記事も書いていた。

 


デイサービスもショートステイも必ず家族が見送りと出迎えをする決まりがあり、そして今日のことである。

 

出迎えをした私に施設の方が言うには、父が昨日の昼食後に嘔吐し、今朝の血圧測定ではかなり高い数値が出たと。

でもしばらくして測り直すと正常値に戻っており、2日とも熱はなかったとの報告だった。

 

「時々あることですから…」(大丈夫です的な口調)

とは言われたものの、父は寒くなってくると体調を崩しがちになるので、そのせいだろうと思っていた。

 

飛ばして来たらしきブラザーが数分後に帰宅し、私は言われたままに父の様子を報告。

すると私が知らなかった事実が彼の口から飛び出した。

 

ショートステイから帰ってくると、体調が悪くなっていることが多いというのである。

認知症でも感情はあるわけで、気疲れも多少はあるだろうが、問題は食事ではないかと言うのだ。

そしてデイサービスではこんなことはないとも。

 

私はデイもショートも担当者は同じかと思っていたが、まったく別であることも初めて知らされた。

そうなると当然、食事も違ってくるだろう。

 

胃や腸の大手術を経験してきた父は、固いご飯は食べられないし、他にも食べると調子を崩すものがある。

参考のため、嘔吐した日のメニューを教えてくれるように頼んでいるらしいが、メニューが書かれた紙を持ってきてくれたのは一度だけだというのだ。

 

高齢者向けの食事だろうから、そんなに固いご飯は出さないだろう。

おそらく、おかずの中に父が消化できないものが含まれているのだと思われる。

何を食べると具合が悪くなるかは本人がわかっておらず、何でも美味しいと言って食べてしまうことも問題だ。

 

それに若い頃からの早食いという悪い癖がある。

自宅で食事する時も、ゆっくりとよく噛んで食べるよう何度も声をかける。

施設ではそのような声がけはないかもしれないので、食べ方にも問題があると思うのだ。

 

暑い寒いの感覚もかなり鈍っているし、風邪気味、具合が悪いといった自覚もないに等しい。

 

救いは胃から出してしまえばケロッと元気になるくらいのこと。

 

施設を責める気は毛頭ない。

家族とは違うし、何人もの利用者を見守らなくてはならないのだから。

 

ただ、今後もこの不安はつきまとうだろう。

あまりにも続くようであれば、ブラザーがケアマネさんと施設側と相談して、どう対処すべきか考えてくれるはず。

 

私もただ見守るだけである。

 

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あとがき

 

どのような介護であっても完璧を目指すのは難しい。

他人から見れば完璧に介護を成し遂げたような人でも、もっと他に何かしてあげられたのではないかと後悔の念を抱くものだと聞く。

 

もやもやした気分が残る記事になってしまったが、我が家の現状ではショートステイに頼るしかないのだ。

 

そういえば、先週のデイサービスでは他の利用者さんたちと一緒に、紅葉を見に車で連れて行ってくれたとか。

記憶には残らなくても感情には残る。

 

美しく残る感情が残酷さをすべて消してくれたらいいのに。

介護ができないうつ病の娘はそう思う。

 

それではまた。

   

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