2日分眠り、昨日起きたのは夕方になってしまった。
鬱は重く感じないものの頭の働きはかなり鈍い。
昨夜も眠剤は効かず、眠れたのは朝10時。
根性で無理やり16時に起床したのだが、待っていたのは怒涛の展開だった。
自分の状態を客観的に見てみる
今気づいたのだが、昨日でうつ病治療開始から4カ月となった。
抗うつ薬サインバルタが上限の60mgになったのは昨年12月4日のこと。
もう47日経過している。
小さな変化はあるものの、良くなったとか、治りそうとかいう実感はまだない。
でもその 小さな変化こそ大事 なのだろうと思う。
ちなみに年末の記事で、私は次のような項目を良い変化として挙げた。
- 自分自身への考え方の変化(うつ病の自覚)
- 効き目がなくなっていた睡眠導入剤ゾルピデムの効力復活
- 聴力異常の改善
- 大きい音、緊急地震速報の音への恐怖感の薄れ
- 上半身左側のむくみの感覚が軽減
2つ目の項目は、現在はまた悪い方向へと変化している。
ブログを読んでいただいている方ならご存知のように、睡眠導入剤ゾルピデム(マイスリー)は再び効力を失い、新しく処方されたフルニトラゼパムはまだ効力を発揮しない日々が続いている。
実は自分でもっとも気になっているのは1項目目なのだ。
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自分がわからないのは人格が定まっていないから?
うつ病の自覚を持ったのは間違いない。
年末の記事で気になったのは、自分のことがわかってきたという意味の前向きな事柄を書いていたことである。
例えば「もう1人の自分」は「自分の一部」と思うことで納得しているのだ。
その一方で「まだ自分の顔がわからない」という事実も他の記事で何度か述べている。
その事実は今でも変わっていない。
次の通院で先生にちゃんと話してみる。
部分的に話したことはあるが、他の症状の話のついでのようになったままだ。
そして今日の展開。
また徹夜決定 従兄夫婦に立ちはだかる壁の高さ
つい先ほど、ブラザーは従兄夫婦の家へと向かった。
予定では引っ越し当日の明日行くはずで、父をデイサービスに送り出してから出発し、私は安心して自分の都合で眠れるはずだったのだ。
ところが前夜に突然の電話。
従兄と大ゲンカをし、不安定になった奥さんからのSOSである。
ブラザーがこれから行くと言うと、とても安心した様子だったという。
やはりまだ一日中一緒にいるのは危険なようだ。
危険というのは奥さんの精神状態。
わかるよ、奥さん。
いくら生き甲斐といっても鬱は簡単にはそれを許さない。
そして自分が身体障害者になってしまったばかりの従兄は、奥さんの病気や精神状態を理解していないのだろう。
従兄が施設に入所する日を確認している暇もなかった。
「明日も何時に帰って来れるかわからない」
ブラザーはそれだけ言って慌てて支度をして家を出た。
もしかしたら入所は明日以降かもしれないと私は受け取った。
とにかく従兄が入所するまでは一日中一緒の生活なわけである。
不安を抱えた奥さんを残しては帰って来られないだろう。
東日本大震災以来、 ブラザーがいない夜を初めて迎えた。
久々にはっきりとした不安が胸の中を転げまわっている。
ブラザーが到着すれば、あちらは心配ないだろう。
私は明朝、父に朝食を食べさせ、薬を飲ませ、9時に迎えの職員に会って父を送り出すまでが最低限の仕事。起きられないので徹夜決定である。
しかも、それから眠ったらブラザーからの電話には気づかないだろうし、夕方5時前には帰宅する父を迎える準備をしておかなければならない。
ブラザーがいつ帰って来れるのかわからないうちは眠ってはいられない。
気が張っているので明日一日なら何とかできると思う。
いったいどうなるのか。
私はいつ安心して眠れるのか。
奥さんはブラザーがついているから大丈夫。
私は私の心配だけしよう。
久々に「今日の画像」 とにかく雪まみれ
太陽は雲で隠れているけど、日の出直後はまだ雪は降っていなかった。
やはり雲は美しい。
ところが、だんだん雲が広がり……。
このような状態に。
もさもさとたくさんの雪が舞い降り、車もライトをつけるほど薄暗くなった。
ちょうど小学生たちの登校時間である。
皆、淡々と歩いている。さすが雪国の子供たち。
1時間ほどで雪はやみ、今度は太陽が出てきた。
めっちゃ眩しい上に逆光ではあるが、敢えて挑戦してみた1枚がこれ。
やはり逆光には勝てなかった。暗い。
でも写るんだね、一応は。
いつものようにネカマ風でいきたかったが無理だった。
でも大丈夫。
きっと大丈夫。
寝なきゃいいだけだし、どうせ眠れないし。
どうかご心配なく。
それではまた。