母の介護で学んだこと
こんばんは。
今日も比較的、安定している山姥です。
今回は、母の介護のこと、家族のこと、自分のことなどを語ってみようと思います。
初めてかもしれませんね。
前後に画像などのコーナーがありますので、介護の部分だけお読みになりたい方は、目次で選択してお読みください。
スポンサーリンク
ふきのとうと空の画像
あまり美しくない写真ですが、ウチの北側の庭のふきのとうです。
落ちた枝やら枯れ葉やらを取り払って撮影したかったのですが、1メートル以上の段差がある場所なので、そのまま真上から撮りました。
遠回りして降りて行けばいいだけなんですけど、寒くてそこまでする気にはなれず。
曇りでほぼグレーな空に見つけた僅かな青空。
母の介護の記憶 「自分」を失わないことが大事
実は明日、父と二人で留守番の日なのです。
でも何故かいつもの不安定さがありません。
母が最初にうつ病になったのは私が30代前半の頃。
突然の介護(看護)の始まりで、心構えも何もありませんでした。
四六時中、目が離せない中、ネットでうつに関する情報を集めまくり、まずは父と兄弟に基本的な知識を伝えました。
そうでなければ、「死にたい…」と言って泣き続ける母への対処もままならなかったからです。
特に父は何が起こっているかもわからず、絶望的な気分になって一緒に泣いてしまったりしていました。
兄弟もまだ若かったせいもあり、なだめたりはするものの、積極的に理解しようとする姿勢はありませんでした。
「私がやらなければ」
娘だから当然の思いですし、そうせざるを得ない環境です。
冷静に振り返ることができる今になってわかることですが、その瞬間から私は自ら「自分」を消し去ったのです。
介護者として、もっともしてはいけないことを。
十数年に渡る介護期間中、母は単なるうつ病とは思えない異常な行動を見せるようになり、とにかく毎日が必死でした。
神経は常にピリピリと張り詰め、5分もじっとしていられない落ち着きのなさ、集中力のなさ。
気がつくと、今が平成何年なのか、自分の年齢がいくつなのか、カレンダーで確認しないとわからないほど、自分のことがわからなくなっていました。
鏡に映る人物さえ、それが自分だと認識できないのです。
その状況は今でも続いています。
私のような例はおそらく極端だとは思いますが、若いうちからある程度の心構えと、何より「自分」を失わないことが基本だと伝えたいです。
誰にだろう……?
今はまだそれさえ明確に言い表せない状態ですが、書き留めておきたくて書きました。
おそらく答えは「過去の自分に」だと思います。
ブログを初めてから変わった!その意識の変化とは
ブログを始め、仕事を始め、徐々に自分を客観的に意識できるようになってきたようです。
明日を前に不安定さが表出しないのも、「できることだけやればいい」「できないことは諦めていい」と、自分に許可が出せるようになったからかもしれません。
ちょっと語ってしまいました。
消えてしまったはずの「自分」はまだちゃんと生きていた様子です。
ただ、その実態が自分では掴めないのがとても残念です。
私は病気だと思っているのですが、医師の見解ははっきりしません。
症状があるのだから、その原因となるもの(病気)はあるという話はされたのですが……。
やっぱりちゃんと知りたいですね、自分のことは。
お気に入りのふくろうたち
前に載せたのと同じ形ですが、実は色違いです。
並べるとこんな感じ。
1枚目と色が違う……どうしてこうなっちゃうんだろう?
1枚目の方が実物の色です。色違いはまだ2つありますので、いつか載せたいと思います。
スポンサーリンク
最後に
何だか妙に落ち着いている自分が怖くもありますが、たぶん明日も大丈夫でしょう。
不満があるとしたら、仕事には集中できない1日になるということくらいでしょうか。
まあ、それもまた仕方のないことです。
他のことで気を紛らわせて過ごすことにします。
皆さんのおかげです。
ありがとう。
それではまた。