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山姥の戯言日記

うつ病 解離性障害 セルフネグレクト 骨粗鬆症の闘病・雑記ブログ「私の場合」

『自分の人生』って何だろうね

 

 

本日もいい天気である。

日中は昨日より暑くなりそうだ。

 

体調はなんだかスッキリしない。

一日の寒暖差についていけていないのだ。

 

また風邪気味になったので、朝からしっかり薬を飲んだ。

効いたようで調子は回復。

 

精神面は低空飛行だが、これが私のフラットな状態である。

つまり、安定の低空飛行というわけだ。


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私が『これが自分の人生なんだ』と思えるようになったのは、つい最近のことである。

 

それまでは、『まだ自分の人生を歩んでいない』『両親の介護を終えた時から自分の人生が始まる』と、ずっと信じてきた。

 

ところが、そうはならなかった。

 

両親の介護を終え、遺された自分は心身ともに過去最悪の状態。

リスタートを切ることが不可能にしか思えない、ボロボロになった自分だけがそこにいたからだ。

 

それでも必死に、『これから本当の自分の人生が始まる』と自分に言い聞かせていた。

 

何故なら、それまでの人生を『自分の人生』と認めたくない気持ちが強過ぎたためだ。

 

まだ、しっかりと介護を遣り遂げていたというのなら、歓迎はできなくても納得していたかもしれない。

 

何もかもが中途半端だった。

 

ネットで起業しようと考え始めた矢先、うつ病の母の長くて壮絶な介護が始まった。

 

私はもうつ病ではあるが、毎日、死のうとする母のようなうつ病患者の介護(看護)には、想像を絶する凄まじさがある。

 

常に神経を張り詰め、ピリピリした日々が続き、私は自覚のないまま限界を越えてしまった。

 

その状態が何年続いたかも憶えていない。

全ての記憶が曖昧で、時系列すらめちゃくちゃである。

 

私の中で、『自分』という存在がどんどん希薄になっていった。

自分のことを考える余裕なんてあるわけがないからね。

 

その頃を振り返る度に、自分の人生じゃないという思いは強くなるばかりだった。

 

母の死後、父の認知症が一気に悪化し、休む間もなく新たな介護に突入することになる。

 

とっくに限界を越えていたけど、介護はしなければならない。

 

これが『私の人生』なのか?

 

認めたら絶望しかないと思った。

 

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そう思っていたけど、受け入れた方が絶望は遠のくと感じるようになったのだ。

 

諦めもあったし、身体の自由さえ失っている現状では、その方が楽だったのである。

しょうがないか〜って妥協した感じ…とでもいうか。

 

語るほどのことではなかったかも。

 

でも書いちゃったし、まいっか。

 

それではまた。

 

 

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