山姥の戯言日記

セルフネグレクトの介護うつ闘病記 「私の場合」の過去と現在を行ったり来たり

うつ病「私の場合」 深い落ち込みの理由(その1) 呪いの誕生日

今日もずっどーんと落ちている山姥です。

 

一昨日、途中まで書いたブログは下書きに保存してあるのですが、開く気にもなれません。やっと原因がうつだとわかり、治療を始め、抗うつ薬の効果こそまだ待たなければならないものの、ちゃんと眠れるようになりました。

 

でも日ごとに落ち込み具合が増しています。

思い当たることが二つありますが、下書きに一つ書きかけているので、今回はもう一つの方を書きます。

【 目次 】

 

介護の終わりは介護うつの終わりではない 過去の重い話

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なんとも雑な撮り方ですが、一昨日落ち込んでいる最中に撮影したバウムクーヘンです。小袋の上に乗せただけという残念な一枚です。

 

なぜ撮ったのかはわかりませんが、食べ物を撮影したのは初めてです。

薬を飲むために食べました。夏まではこれを一食と数えていたのです。こういう食事を続けて、食欲はあるから大丈夫と思い込み、どんどん衰弱していったわけですね。

 

このバウムクーヘンは母も好きでした。おやつによく食べていて、亡くなってからも兄弟が買ってきて仏壇に供えます。

 

その母が大暴れするのが今頃の時期だったのです。

記憶の不確かな私がなぜはっきり憶えているかというと……誕生日前後だったからです。毎年です。

 

常にビクビクして過ごし、誕生日なんか来なければいいのにと思っていました。もう朝晩はストープを使い始める季節なので、そういった外因もあったでしょう。私も30を過ぎていましたし、それほどめでたくも嬉しくもありませんでしたからね。

 

今でも忘れられません。

名医として名高い近所の医者が、うちだけ仲間外れにするような嫌がらせを仕組んだことがわかり、それを知った母は激怒。病院のガラスを叩き割ってくると言い張り、杖を持って外に飛び出します。それを2日か3日、止め続けていたある日。

 

その医者は突然、心臓発作で亡くなりました。

 

念というものがあるのでしょうか? 少なくとも母はそう思ったようです。

微笑んでいました。私の誕生日のケーキを食べながら。

 

私は何も感じませんでした。怖いとも、悲しいとも、嬉しいとも。

 

時期は憶えていても、いつの出来事かはわかりません。

その時は医者が理由でしたが、他の年のこともわかりません。

 

ちなみに嫌がらせの理由は父です。外では正義感が強く、誰が相手でも間違っていると思ったらはっきり言ってのけるのが常です。ここに引っ越してきてすぐ、町内では昔からの習わしで当然のようにしていたことに、「これに町内会費を遣うのはおかしい」と異を唱え、違法とも言える出費をやめさせることに成功したのです。

 

一目置かれる存在となった一方で、父の存在を快く思わない人たちもいたわけです。それでも父の態度が変わることはなく、いつしかいなくてはならない中心人物になっていました。

外での父は、概ね正しい人なのです。頼られれば放っておけず、頼まれれば断らず、民〇委員までやりました。毎日、ひとり暮らしのお年寄りの様子を見に行き、朝は小学生の登校の見守りおじさん(正式名称知らず)を続け、小学校の卒業式にも呼ばれていましたね。

認知症の母親がいなくなったと近所のおねえさんが助けを求めに来たり、DVの父親から逃れて来た母子が飛び込んで来たこともあります。小さい子は秋なのに半そでを着ていて、寒いのか怖いのか両方なのか震えていました。

 

自分を見ているようでした。

 

家の中でもそのままの父でいてくれたら。

何度願ったことでしょうか。

 

家族以外は父の本性を知りません。「立派な人」としか思っていません。

 

徐々にはっきり思い出してきましたが、私は小学生の頃、既に不眠症でした。毎晩泥酔するまで酒を飲み、しかも恐ろしく酒癖の悪い父のせいです。兄弟が熟睡している隣で私は必死に寝たふりをし、父が寝静まるまでずっとビクビクしていました。時々私たちが寝ている部屋に来て、「起ぎろー!」とからむからです。

 

恐怖でした。日中とは別人の父。目つきも酔った口調も気持ち悪くてしょうがありません。母はずっとそれに耐え続けていたのです。小姑の伯母のせいもあって。

私なら1日でリタイアしてます。

 

私たちを連れて逃げて欲しかった。

父と離婚してくれと強く願っていましたが、言葉にはできませんでした。

 

母はなるべくして病んだのです。暴れるのも泥酔した父のようで、私はどれだけ父を恨んだか。今は絶縁している伯母も。

 

書こうとしていた内容からずれてきてしまいました。

思い出したことはすぐ書かないと忘れそうで、長くなってしまってすみません。

 

母はまだ死んでいないという私の感覚について書くはずでしたが、またにします。ちょっと自分でも混乱しています。

 

一旦、家族の話から離れましょう。

 

「今日の画像」茶髪の女子高生たち(ピンボケ)&自分の高校時代

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ピンボケもいいとこです。

なにしろ食べ物の近影設定のまま撮影してしまったのですから。またやっちまいましたよ。でも雰囲気だけでも明るいものをと思って。

 

私は天然パーマな上に生まれながらの茶髪です。純粋な日本人なのに。

特に陽が当たると余計に赤ーく見えて、何度も「染めてるの?」と聞かれた経験があります。私の時代は染めるのは不良。私は不良といえば不良でしたが、断じて染めてなどいません。

 

高校時代、「先生に目つけられてるよ」と教えてくれた子がいました。大学に行くつもりだったので進学校に入りましたが、中学時代の不登校がまだ尾を引いていて学校はサボりがち、原付バイクの免許を取り、酒臭いまま登校して友だちを慌てさせたこともありました。

 

髪の色や免許に関して校則は緩かったですが、それは生徒が自分で自分を律する精神を前提としたもので、校則に載せていないだけで実質禁止です。酒やタバコはバレたことはなかったです。

 

どうしようもなく、すさんでいました。

 

あれ、また話が元に戻りそうなので次にいきます。

ちなみに上の画像の左端の電柱、元々傾いているんです。信じてくださいね。

 

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今日は空を最後にしました。こういう内容になるだろうと思って。

筋雲っていうんでしょうかね? 薄い雲が織り成す繊細な模様は美しいです。途切れかけている飛行機雲もいい感じです。

 

今日も9時過ぎてしまった……私が自分をタイムマネージメントできる日は本当に来るのだろうか……。

 

あ、今日の喜び忘れてました。

サインバルタの副作用、今日は眠気も吐き気もナシですよ! 初の快挙です!

これはイケそうな気がします。

それではまた。