ひとりで介護 前夜の不安
自分の精神的な病のこと、その原因となった小さい頃からの環境などを記し、現在の生活や心情を吐露する目的で始めたブログ。
ほぼ同時に仕事も始め、認知症の父と暮らす不安定さも抱えているため、最近は実生活にあまり触れていませんでした。
現実逃避です。
仕事や鳥、空や花の話題も現実ではありますが、家庭の実情による苦悩を具体的に表現することを避けてしまっていたのです。
自覚があるものだけを挙げるとこんな感じです。
治すというより症状をやわらげる方向性でしょうか。
確かにどの薬も一定の効果がありますが、不安の強い状況に置かれた時などは、まったく効力を発揮しない場合もあるのです。
例えば今。
先週も書きましたが、明日は父と二人で留守番の日。
怖いです。
苦しいです。
逃げ出したいほど不安です。
今夜も一睡もせず過ごすことになるでしょう。
父の認知症はまだ軽く、家族の顔はわかりますし、コミュニケーションにも問題はありません。
ただ物忘れはかなり進み、今言ったこと、聞いたことを次の瞬間には忘れてしまいます。
一日に何度も同じ説明をしなくてはならないわけです。
自分の声すら不快な不協和音となる私にとって、これはかなり気合いの必要な作業です。
そして、もっとも怖いのが自分の家を忘れてしまうこと。
外で迷子になるならまだしも、家の中にいるのに「ここはどこだ?」となってしまうことがあり、「自分の家じゃない」と結論付けて、知らぬ間にいなくなっていることがあるからです。
携帯電話を持っていれば居場所はわかるようにしてありますが、朝ポケットに入れても、次に様子を見に行ったらテーブルの上に置いてあったりします。
ですから頻繁に様子をうかがいに行かなければならないわけです。
ずっと目の届く場所にいられればいいのでしょうが、私には不可能なこと。
亡くなった母ほどではないものの、一緒にいれば会話をしたがりますし、一人でも退屈しないようにとテレビをつけっ放しにしている部屋です。
私にとっては不協和音地獄の部屋。
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兄弟に「父の世話はできない」とはっきり言ったこともありますが、経済面も含めた今の家庭事情では、受け流すしかなかったようです。
一人で生活を支え、働いてくれている兄弟。
私以上にしんどいはずです。
元来、とても真面目で優しい性格ですが、ピリピリしている時もあります。
その場で単刀直入に言ってくれれば対処できていた問題も、一人でため込んでため込んで爆発させたこともありました。
それがとても怖くて、私は顔色をうかがいながら暮らしているわけです。
小さい頃からそうやって生きてきたので、顔色をうかがうことには慣れていますが、こんな毎日から解放されたいものです。
そして、解放されたいという思いは兄弟もきっと同じなはず。
だからどんなに不安でも、私は無理をしてしまうのでしょう。
せめて兄弟の役に立ちたくて。
まあ、何とかなるでしょう。
何とかなります。きっと大丈夫です。
大丈夫でありますように。
きっと大丈夫なはずです。
それではまた。