通院の記録 オリンピック開会式を観て 短編小説は怪談
庭のネジバナ 2021年7月21日ブラザー撮影
オリンピック開会式の一昨日、興味津々でどうにも落ち着かなかった。
開催が決まるまではずっと反対してきたが、やるとなったら腹をくくって応援するだけだ。
かつて、これほど味噌がついた大会は記憶にない。
前代未聞のオリンピックである。
その前に、日常の話をしておこう。
まずは3日前の通院の記録から。
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フルニトラゼパムがゼロになった
ほぼ効き目がなかっただけに、薬が減って嬉しい。
睡眠なら抗うつ薬ミルタザピンだけで充分である。
実はまだ歩けるようにならず、またしてもブラザーに代行を頼んだ。
情けない話だ。
主治医に伝えたいことをメモして渡し、フルニトラゼパムがなくて大丈夫なことも書いたが、なにせ薬のことだ。
本人の診察でなければ変更は受け付けられない可能性もある。
でもすんなりいったので一安心。
どの薬が効いていて、どの薬が効いていないかを見極めないと、生前の母のように薬だらけになってしまう。
母はちょっと心配があると、内科、脳外科、婦人科、循環器科と、すぐ受診に行く行動力があった。
通院している整形外科、心療内科の他にである。
実際、不整脈があったり、血圧が高かったりで、私は何科の薬か把握していなかったけど、医者が飲む薬を整理しましょうと言う程度には大量だった。
今はどうか知らないが、当時は、別の科から同じ効果を持つ薬が重複して処方されることがあったのだ。
結局その時は、母の薬はかなり減ったことを憶えている。
身体のためにも、薬は少ないに越したことはない。
それにフルニトラゼパムの依存者数は、エチゾラム(デパス)に次ぐ多さである。
1年と半年以上飲んだことになる。
だが、最初から効かなかった私は依存症になることもなかった。
念のため、2錠を1錠にして減薬の段階を踏んでいたが、飲まなくても離脱症状は起きないという確信があった。
主治医の同意を受け、飲まなくなっても何ら変化はない。
という次第で、無事にフルニトラゼパムとおさらば完了である。
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東京オリンピック開会式を最後まで観た
一昨夜の開会式、途中で襲ってきた眠気と戦いながら、どうにか最後まで観ることができた。
まだ誰の感想も見ていない、ニュースも見ていないうちに率直な感想を。
一言でいうと、地味だった…かな。
リオのバトンタッチであれだけ期待度を上げておきながら、なんと簡素な催しであったか。
マリオは? アニキャラは何か出ないの? と待っていたのに。
加えて初音ミクちゃん出たら最高だなぁ~なんて思いながら。
市川海老蔵さん、あれだけ?
劇団ひとりさんの方が多く出てたよ。(劇団さんは嫌いではない)
聖火入場で『ボレロ』が流れ、嫌でも思い出す野村萬斎さんのボレロ。
東京五輪オリパラの開会式・閉会式の、野村萬斎さんの総合演出チームが解散したのは昨年。
そこからもう嫌な風が吹いている気はした。
印象に残っているのはドローンの地球儀くらいかな。
派手にし過ぎちゃいけない、お祭りっぽく弾けちゃいけないとでも、お達しがあったのかと疑ってしまうよ。
でも寸前に辞任だの解任だのとドタバタして、演出チームは本当に大変だったと思う。
ドタバタがあってアレだったのか、ドタバタがなくてもアレだったのかは知りたいところだけどね。
まあ、終わっちまったもんはしょうがない。
閉会式は厳粛な空気でなく、お祭りっぽくお願いしたい。
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短編小説【怪談 近づいてくる足音】
私の最初の霊体験は小学1年生の頃です。
その日、泊まりに来ていた叔父夫婦の間で寝ていた私は、まだ暗い朝方に、聞き慣れない音で目を覚ました。普段は起こされてもなかなか起きることができないのに、なぜかパッと目が覚めたのです。両隣の叔父と叔母は、まだスースーと寝息を立てていました。
ピタ……ピタ……
遠くて小さい音は異様な響きでしたが、私はそれが足音に聞こえました。でも明らかに雰囲気が違います。家族の足音なら誰かわかるくらい敏感だったのに、その足音は家族の誰のものでもなかったのです。
ズ~……ピタ……ズ~……ピタ……
音は少しずつ大きくなり、足音と足音の間に別の音も聞こえてきます。まるで着物か浴衣を羽織り、それを引きずりながら歩いているかように。
やがて、足音は私たちが寝ている隣の部屋まで進んできました。音は大きくなって、はっきりと聞こえます。
ズズズ~…ピタッ…ズズズズ~…ピタッ……
真っすぐこちらに向かっているのがわかり、私は恐怖で頭まで布団に潜り込みました。足音が止まってくれることだけを願って。
でも不気味な足音が止むことはなく、襖の方を頭にして寝ている、私たちの枕もとに向かってきます。
ズズズズ~…ピタッ…ズズズズ~…ピタッ……
とうとう襖を隔てたすぐ近くまで足音が来てしまい、私は目を固く閉じて息を殺していました。恐怖で身体も硬直したままです。
カタ……カタッ……
枕もとで、襖が震えるような音がしました。
――開けようとしている!
そう気づいた瞬間、私は弾かれるように声を発したのです。
「おじちゃん、おばちゃん、誰かいる! 起きて! すぐそこにいる!」
自分でも驚くような震える大きな声でした。
でも、私が声を出した瞬間に音は止まり、異様な気配すら嘘のように消えたのです。起きた叔父夫婦に一生懸命説明しましたが、なかなか信じてもらえません。襖を開けても誰の姿もなく、他の部屋を見て回っても家族以外はいないというのです。
何事かと起きてきた両親も、怖い夢を見たのだろうと言い、やはり信じてはくれませんでした。私はちゃんと目が覚めていて、確かに音を聞いたのに…それ自体が夢だとでもいうのでしょうか。
釈然としませんでしたが、皆になだめられているうちに、私は反論する気力もなくなってしまいました。
すると、早朝にも関わらず電話の音が鳴り響いたのです。外はいつの間にか明るくなり始めていましたが、まだ常識的な時間とはいえません。
そういう電話は悪い知らせのことが多いと、幼いながらも私は知っていました。慌てて電話をとりに行った母が、転がり込むように戻ってきます。
「シズエおばさんが亡くなったって!」
私は名前しか知りませんでしたが、父たちは驚きの声を上げました。
後から詳しく聞いた話ですが、シズエおばさんは本家の祖父の妹で、父や叔父にとっては、叔母に当たる人です。早くに結婚したものの子宝には恵まれず、まだ小さかった父や叔父をとても可愛がってくれたと聞きました。
夫に先立たれ、自分も病に倒れてからは、兄である祖父の家族の世話になっていたのだとか。私が生まれる頃には、もう寝たきりの状態だったらしいのです。
急いで駆けつける準備をする母と叔母をポカンと眺めていると、着替えた叔父に頭を撫でられました。
「シズエおばさん、俺たちにお別れしに来たんだな…」
「俺の子どもが見たいって言ってたらしいから、もしかしたら」
反対側にやはり着替えた父が立っていて、私の顔を覗き込むようにしゃがみました。大きな手を私の頭の上に置きます。
「お前に会いに来たのかもな。おばさんは肺の病気でね、誰とも会うことができなかったんだよ」
2人とも優しく私に微笑んでみせましたが、とても悲しそうな目をしていたことは、はっきりと憶えています。
――怖がったりして、私はシズエおばさんを傷つけてしまったのでは…?
そう思うようになったのは、だいぶ後になってからのことです。怖かったのは本当でも、拭いきれない罪悪感が胸に広がりました。
今はただ、シズエおばさんが安らかな眠りについてくれていることを祈るばかりです。
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あとがき
怪談は、出版予定の短編集のほんのさわりである。
文体も内容も少し変えるつもりだが、出版の際にはブログから消すつもりでいる。
ちなみに私の本当の経験談であり、経験談の中でもっとも怖くない怪談だ。
実際の経験をもとにした怖い話はまだまだあるので、お好きな方は楽しみにしていていただきたい。
さて、オリンピック。
気になるのは選手たちの記録より、東京の人出である。
デルタ株が驚異の感染力を見せており、地方に拡大するのは目に見えている。
オリンピックのお祭りムードで気が緩んでしまったのだろうか。
医療の現場はひっ迫している。
どうにか我慢していただきたい。
私からもお願いしておこう。
それではまた。
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