いきなり本題に入る。
私が自分を許せない要因のひとつに、母の苦しみを目の当たりにし過ぎた事実が挙げられるのだが……こればかりはどうしても克服できない。
私の苦しみなど、母のそれとは程遠いと思ってしまうからだ。
比べるものではないと思いつつも、無意識のうちに、まだ自分は苦しみが足りないなんていう無意味なことを考えている。
と、同時に、何故母はあんなに苦しまなければなかったのかという、どこに憤りをぶつければいいのかわからない疑念にも悩ませられる。
「こんなはずじゃなかった」
ある時はぽつりと、ある時は泣き叫びながら、母は何度も繰り返した。
その思いは私だって一緒だ。
一度も口にしたことはないが、これが自分の人生だとは思いたくないと思いながら生き長らえてきたのだから。
もっと親孝行な娘になりたかった。
自然にそう思えるようになったのは、両親ともに亡くなり、しばらく経って落ち着いてからである。
おそらく少しは正気になったのだろう。
恨み、憎悪、愛情、自己嫌悪……そんな感情に翻弄されつつ、業火の中にいた時間が長過ぎたのかもしれない。
業火は今も存在するが、普段の私はその中にはいない。
結果的に、私は人生を両親に捧げた。
或いは奪われた。
それで母が許してくれるかはわからないが、私の心はちょっと穏やかになる。
もちろん、ちょっとなだけで帳消しになるわけではないけど。
生まれたから生きている。
生まれたことにも、生きることにも、無理に意味など持たせなくていい。
ここまで生きてきて、やっとその考えに辿り着いた。
私は私の人生を生きたい、ここからが本当の自分の人生なんだ……そう考えていた少し前の自分。
これからが自分の人生だと思いつつ、心身ともにボロボロで呆然となり、もう絶望しかないように感じていたけど、違った。
ボロボロな心身が再生することはないだろうが、ボロボロでみっともなくても、死ぬまでは生きたい。
最低限、たったひとりの家族には迷惑をかけないように。
なんか、だんだん善人のようなこと書いてきてるね。
自分を許せないことに変わりはないのに。
話があっちこっち行くからこうなる。
結論も何もない、ただの記録だ。
しばらくはこんな感じだろう。
それではまた。
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