胸をざわつかせる不安の正体を自己検証
裏庭のシュウメイギク 2021年10月8日撮影
昨日の日中から、なぜか胸がざわついていて、今日もまだ続いている。
自分でも正体がわからない漠然とした不安のせいだ。
これが悪化すると不安定になるのだが、そこまではいかない感じがする。
胸がざわついていると、集中力を保てないのが問題。
昨日はブログを書けなかったし、小説もちょっとしか進んでいない。
今日は、こうして書くことができているので、この漠然とした不安について記録しておきたい。
誤算でYouTubeデビューしてしまった件
考えられる件を一つ一つ潰していこう。
まず、前回の記事に書いた「気になって仕方がない」という心の現象。
庭仕事自体は気分がスッキリして、精神面にもいい影響を与えている。
上の一昨日の記事にそう書いたし、今もその考えに違いはない。
ただ、昨日、庭に出る時の心境が、普段と少し違ったのである。
庭が気になって…というより、落ち着かなくてじっとしていられなかったのだ。
正午過ぎに庭に出て、2時間弱、アケビの枝と格闘したり、画像撮影をしたり、空を眺めたり。
昨日は曇りであまり面白くない空だったが、北からやって来た渡り鳥が南下するのを3組ほど見かけた。
1組目は撮影し損ねたので、画像は2組目の群れである。
鳴き声は白鳥と違い、見た目も小さい。
おそらくマガンの群れかと思われる。
短い滑り止め付きの軍手を装着し、右手に枝切りばさみ、左手にデジカメを持ったまま作業をしていた。
我ながら器用である。
また枝切りに没頭していると、渡り鳥の声がしたので、右手に持っていた枝切りばさみとアケビの実を地面に落とし、デジカメを構えた。
ところがである。
作業中にデジカメの設定部分を動かしてしまったらしく、電源をONにしたら動画撮影の画面になっていた。
渡り鳥のスピードは速い。
設定を直す時間がなかったので、そのままシャッターボタンを押し続けた。
初めての撮影となった動画がこちら。
必死だった割りに、とても下手くそである。
ご覧いただく際には、おもに右下に注目していただきたい。
12秒の動画で、初めの方に「クワックワッ」と聴こえるのが彼らの声だ。
本当はこういう画像を撮りたかったのだ。
50羽くらいの群れである。
実際に見るとすごく感動する。
白鳥は身体も声も大きいのでもっと感動する。
2組目と違い、丸みを帯びた隊列なのが気になるところ。
V字型が基本のはずだけど先頭がはっきりしない。
まあ、たまたまだろうけど。
そのような次第で、苦し紛れに撮影した動画がYouTubeデビューという、誤算も甚だしい出来事であった。
だが、不安に拍車をかけただけであり、これ自体は不安の原因ではない。
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難病のネッ友さんと連絡がとれなくなった
やはり、これが1番大きいのではと自分では思う。
ブログは必ず拝読し、ツイッターでも仲良くさせていただいていた。
難病を患い、座るのもやっとという方から、私は多くの知識と心構えを教えていただいた。
障害者年金の申請を自分でやり切ろうと動いている最中、何度もありがたいアドバイスを頂戴した方である。
毎日ブログを更新し、積極的にツイートなさっていたのに、半年前にピタッと止まってしまった。
お元気になられて絶対帰ってきてくださると信じ、半年経つ。
もちろん希望は捨てていないが、最近は不安の方が大きくなってきている。
気まぐれに姿を消すような方では断じてない。
ネットができない状況に陥っておられるのだ。
私にとっては、交流のある方々すべてが特別な存在であるが、彼女は特に解離性障害という共通項があり、そういう意味で存在そのものが大きかったのである。
一般的に理解されにくいことを、瞬時に見抜いてくださる方はそうそういない。
ここまで書いて確信を得た。
やはり1番の不安の原因は彼女のことだ。
だが1番なだけであり、すべてではない。
彼女のことは、今後も信じて待つだけである。
母の絵手紙とシュウメイギクとホトトギスの花
今日はまた驚くほど花が増えていた。
菊の仲間と思っていたが、キンポウゲ科の宿根草で、春に咲く球根植物のアネモネの仲間だという。
続いてはお馴染みとなったホトトギス。
漢字表記だと、不如帰・子規・時鳥・郭公・蜀魂・霍公鳥・沓手鳥と、あまりに多くてどれを使うか迷うほど。
万葉集や古今和歌集、新古今和歌集でも多くの歌で詠まれている花だ。
左下の紫色のつぼみはリンドウかと思われる。
母が生前、趣味にしていた絵手紙にも描かれていた。
ホトトギスの絵は、実物はもっと奇麗な色で描かれている。
並べて撮影したのが失敗だった。
母が「晩秋」と書いているように、ホトトギスは11月まで咲き続ける花らしい。
シュウメイギクも同じ。
母の話題を出したのは、常に私の不安要素の一つであるからだ。
母が悪いわけではない。
私の心の動きに問題がある。
だが、今回はくどくどと書かないことにする。
書き始めたら明日になってしまうだろう。
一言で言うと、母が他界したことを認めない私の中の自分のせいである。
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今日も庭仕事 敵はアケビだけではなかった
昨日はバカみたいに2時間近くアケビの枝と格闘したが、今日は1時間ほどで終えた。
なぜなら、始めた時から腰が痛み始めたためである。
作業を中断して腰を伸ばすと、すぐ楽になる程度の痛みだ。
今日、思い知ったのは、ガクアジサイの成長がいかに凄まじかったかということだ。
2~3年前に、ガクアジサイは母が好きだったので殲滅しないでくれ、とブラザーに頼まれた。
そのせいで放っておいたら、アケビもビックリの広範囲に勢力を広げてしまったのである。
しかも、アケビの隣にあるものだから、互いに巻きつき合って伸びる伸びる。
無法地帯と化したのは、アケビだけでなく、ガクアジサイの繁殖力のせいでもあったのだ。
密林のごとき無法地帯の枝をばっさばっさ切っていると、なんと空の蜂の巣までついてきた。
小さめの蜂の巣があったのは、ガクアジサイの葉っぱの下である。
これはいかん。
でっかい蜂に追い回されたトラウマが甦る……かと思いきや、蜂を見ても怖くなくなっていることに気づいた。
襲ってこなくても、姿を遠くから見ただけで身体が硬直していたのが嘘のようだ。
理由はわからない。
やはり最近の私はおかしい。
不安は大きいのに、心の痛みを感じなくなっている。
回復に向かっているならいいが、そうとは思えない気もする。
庭に話を戻そう。
実は私は、母が元気だった頃の奇麗な庭に戻したいのだ。
植物に関しては無知に近いので、雑草だとわかる草の除去と、繁殖し過ぎる植物の征伐を主に行っている。
育てるのはブラザーの仕事だ。
私にはできない。
それに、今年、2階に置きっ放しのクンシランを死なせてしまった。
店の2階にあり、私の部屋から行けるので、水やりは私の仕事だったのに、歩けなかった冬~初夏は水をやれなかったのだ。
元々、根詰まり状態で、もう10年は花が咲かなくなっていた。
でも葉は生きていたのである。
昔はオレンジ色の見事な花を咲かせていた。
母が嬉しそうに眺めていたのを憶えている。
株分けの知識もなければ、やる気もなく、とうとう引導を渡してしまった。
小さい緑色の葉がついている部分だけ残してあるが、新しい葉が出てくる気配はない。
その罪悪感が片時も胸を離れない。
たかが植物、ではないのだ。
割り切れたらどんなに楽だろう。
これも間違いなく、胸をざわつかせている原因の一つだ。
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あとがき
書いていると、すらすらと言葉が出てくる。
自分自身、そこで初めて知ることもあるくらい。
病だけのせいにはしない。
私は元々こういう人間なのだ。
決して偽悪的になっているわけではなく、事実である。
罪悪感はあっても心が痛まない。
ただ、ざわついている。
面倒くさいね。
それではまた。