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山姥の戯言日記

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孤独死(孤立死)うつ病とセルフネグレクトと疑似体験

 

孤独死孤立死)疑似体験 危険で優しい誘惑

 

アスファルトの上で眠る猫

 

ちょっと鬱陶しいタイトルだが、うつ病患者にとっては笑えない真面目な話である。

もちろん、私はセルフネグレクト(自己放任・自己虐待)でもあるし、うつ病も人によって様々なので一概には括れない。

 

今回はネガティブな内容になりそうだが、私が思うこと、私の身に起きたことを偽りなく、率直に記録しておきたい。

 

 

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孤独死と言われる散り方について思うこと

 

最近では「孤立死」と表現されることが多くなり、「孤独死」は使えなくなっているのかもしれないが、今回は孤独死で統一させていただく。

 

私は以前から、なぜ孤独死がこれだけ問題視されるのかと否定的な意見を述べてきた。

発見されるのが早ければ助かったかもしれないから?

誰にも看取られない死はかわいそうで不幸な死に方だから?

 

私個人の意見からすると、後者は大きなお世話だし、前者にしても孤独だけが原因だとは思えない。

家族と同居していても、ひとりでひっそりと息を引き取る人々はたくさんいる。

私の祖母2人ともが、そうであったように。

誰にも看取られなくても、そのようなケースは孤独死とは言われない。

 

そもそも「孤独」という表現が気に入らないのだ。

生きている人間が個々の状況を知ることもせず、一方的に括っているように思えてしまうから。

人によっては満足のいく大往生だったのかもしれないのに、なぜ、わざわざネガティブな印象を持たせるのか。

 

私のようにひとりでいることが至上の喜びである人間には、解せない話である。

 

人はひとりで生きていけないことはわかっている。

私も家族がいるおかげで命を繋ぎとめているのだから。

 

問題は孤独死ではなく、そこに至るまでの経緯にあるのだ。

コミュニティから孤立してしまい、受けられるはずの支援が受けられず、自分でできることすら知ることができず、結果として不本意な死を迎えてしまう。

つまり、死を迎えるずっと前から、社会から切り離されてしまっている人が多いということだ。

 

数字で見れば圧倒的に独居高齢者が多いが、これは高齢者に限ったことではない。

私が数十年抱えているセルフネグレクトは、当初、高齢者を対象とした調査しか行われなかった。

孤独死した人のほとんどが、最後はセルフネグレクトの状態に陥っていたと思われたためだ。

 

皆さんも、テレビなどでご覧になったことがあるのではないだろうか。

ゴミの収集に出すはずだった袋が積み重なった部屋。

食べ終えたインスタントラーメンのカップや衣類で足の踏み場もない部屋。

 

残念ながら過去の厚生労働省の調査は、「セルフネグレクト」という言葉が浸透しておらず、調査する側もされる側も定義や基準がわからないという大変お粗末なもので終わった。

 

今や若年層にも広がるセルフネグレクトは社会問題であるが、パンデミックの時代において優先順位は低いものと思われる。

 

「緩やかな自殺」と称されるセルフネグレクト

ここを深く掘り下げなければ、世に言う孤独死というものは増加する一方だろう。

 

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うつ病セルフネグレクトの関係性

 

セルフネグレクトうつ病障害者手帳1級)の私がずっと前から言ってきたことだが、両者に密接な関係性があることは明らかである。

 

セルフネグレクトうつ病の症状のひとつと捉え、治療を行っている精神科医もいる。

 

抗うつ薬の服用によって、セルフネグレクトが改善したという報告もあるほどだ。

 

だが覚えておいてほしい。

セルフネグレクトに陥った人は、自ら病院へ行こうとはしない

 

私の場合。

不眠が長く続いても病院へ行こうとしない私を見兼ね、家族が強制的に心療内科へ連れて行ってくれたことから治療が始まった。

でも最初の医師は、セルフネグレクトうつ病も否定し、不安障害の治療しかしてくれなかった。

病状は悪化する一方なのに、患者としては医師の言うことを受け入れるしかない。

 

ところが諸事情あって病院を変え、3年目にようやく私が本心を打ち明けたことから、うつ病と診断されるに至ったのである。

障害者手帳を申請してみると、いきなり最上級の1級と判定された。

他の不安障害などの精神疾患も含め、1級と見なされるのは稀(まれ)なことらしい。

 

思うに、セルフネグレクトというポイントが影響したのではなかろうか。

私も、かの精神科医と同様に、セルフネグレクトうつ病の症状のひとつだと思っている。

 

うつ病に「完治」はない。

セルフネグレクトに至っては、定義や基準さえ、精神科医心療内科医ともに浸透していないように思われる。

患者本人も、自分がそうだと知らない人は多いだろう。

 

以上、セルフネグレクトを併せ持つうつ病患者のひとりとして、思うところを記したものである。

 

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孤独死の疑似体験

 

今までに2回ほど体験しているが、今回はつい先日のことを話そう。

 

忘れもしない、4月1日未明のことである。

足腰の痛みが最高潮で、這って歩くことさえままならなかった日の真夜中、寒くて目が覚めた。

つけっぱなしだったテレビの番組を思い返すと、おそらく午前1時前後だ。

 

ストーブまでの距離は約2m。

もっとも冷え込むのは朝方なので、早めにストーブをつけようと動き始めた。

 

しかし、どんな姿勢でも足腰に痛みが走る。

睡眠導入剤も効いていて、まだ眠気もあった。

大きく動くと息が止まるほどの激痛が走るので、本当に数cmずつ、ゆっくりと移動していた。

 

最初は腕を立てて腕力で動いていたが、それも辛くなり、肘をついて前に進む形になった。

ほふく前進のような格好である。

 

やっと1mくらい進んだかという頃、喉が渇き、寒さで身体がガタガタと震え始めた。

休憩を入れながらの前進だったが、そのまま少しウトウトすることもあったので、かなり時間が経っていたことは確か。

 

疲れきってしまい、ダメだとわかっていたものの、完全に伏せてしまった。

スペースのない場所にすっぽりはまるように、両手を前にまっすぐ伸ばし、うつ伏せになったのである。

 

とても楽な体勢ではあるが、そこからまた身体を起こすのはかなりの重労働だ。

ガタガタ震えているのに寒さはそれほど感じない。

喉も乾いていたけど、あまり切迫していなかった。

 

時間の感覚すらなくなっていたので、どのくらいその姿勢でいたのかはわからないが、また両肘をついた態勢に戻ろうとした瞬間。

腰に激痛が走り、息が止まった。

気持ちが折れ、静かにうつ伏せに戻る。

 

ー もう いいかな…。

 

頑張るのをやめた。

生きることを諦めてみた。

 

すると、とても楽になり、この上なく安らかで幸せな気分に包まれた。

 

ー このまま眠ろう。

 

誘惑に勝てず、少し眠ったように思う。

でも寒さの方が勝り、すぐに目覚めてしまった。 

目覚めるだけの体力がまだあったのである。

 

雪山ではなく室内なので当然といえば当然。

可能性としては衰弱死しかないが、3日はかかるだろう。

 

私は睡眠障害の過眠状態なので、普通の時間で暮らしている家族と顔を合わせない日もある。

2日は放っといてくれるはず。

最悪なのは3日目くらいの、まだ息があるうちに発見されることだ。

 

救急車?

そして入院?

地獄でしかない。

 

なんてことを想像しているうちに、気がつくとカーテンの向こうが明るくなっている。

 

最後にもう1回だけ頑張ってみることにした。

 

両肘を身体の方に引き寄せ、慎重に上半身を浮かせていく。

再び腰に激痛が走り息が止まったが、実はこれがチャンス。

息を止めたままだと、次の痛みがこないのだ(私の場合)。

一気に両腕を立て、なんとか膝も立てることができた。

 

_| ̄|○

 

↑ まさにこんな格好に。ナツカシス…

 

ゆっくり進み、無事にストーブのボタンを押した。

次は後退である。

 

じりじりと牛歩以下のペースで、なんとか指定席に戻ることができた。

テレビの時間を見ると朝の7時半を過ぎている。

 

後でいろいろ思い出しつつ時間を逆算してみた。

動き出してからストーブをつけるまでの時間は5時間余り

ストーブをつけてから元の位置に戻るまで、1時間以上かかっていた。

 

とても疲れていたが、自ら希死念慮を遠ざけることができて、気分はよかった。

その日のように、うっかり死に近づくことは時々あることだ。

私の気持ちの中に抵抗感などない。

 

ただ「今じゃないよな」と思うだけで生きながらえてきた。

簡単には達成できないことを最後の砦(とりで)として、前もって用意してあるのだ。

それを達成するまでは、ずっと「今じゃない」

 

でもあの安らかな幸福感は決して頭を離れないだろう。

 

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あとがき

 

期待はずれな疑似体験だったかもしれないが、家の中にしかいられない人間の体験なんて、こんな些細なものである。

逆に言うと、身近過ぎて気づかないような些細なことでも、人は死んでしまう可能性があるという話。

 

そして、そういう時にはどんな理屈も希死念慮をねじ伏せられない。

 

だから私は最後の砦を作った。

10代から、それを保ち続けている。

 

今回はなるべく重苦しくないように綴ったつもりだが、いかがだったろうか。

自分では、久々にセルフネグレクトの話ができてよかったと思う。

次回は少し軽めになるように心がけよう。

 

それではまた。

 

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