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山姥の戯言日記

セルフネグレクトの介護うつ闘病記 「私の場合」過去と現在を行ったり来たり

母から聞いた不思議な話や戦争のお話の記録と戯言

ここだけで語る母から聴いた不思議なお話、戦中・戦後のお話

 

祈る少女

 

本当にあった昔話みたいなお話。

そして戦争のお話。

 

今回は私が小さい頃に亡き母から聞いた不思議なお話から記そう。

 

 

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赤ん坊を救おうとした祖父だったが…

 

それは祖父(母の父親で故人)が若い頃のお話。

海に釣りに出かけた祖父は、釣った魚を竿につるし、肩に担いで家路についた。

 

家は山の方にあって遠い。

日が落ちてしまい辺りは真っ暗。

それでも通い慣れた道を、祖父はいつも通りにのんびりと歩いていた。

 

すると、どこからか赤ん坊の泣き声が。

 

山へ入ると家はほとんどなく、人気(ひとけ)もないような場所である。

 

泣き声のする方へ行くと、そこは墓地だった。

少し離れたところにお寺があり、祖父の先祖も含め、檀家の墓が並んでいるのである。

 

赤ん坊の泣き声は確かに墓地の中から聞こえた。

これは捨て子に違いないと思い、祖父はためらいなく墓地に足を踏み入れた。

 

泣き声は途切れ途切れで、暗い中を見当をつけて進むと、違う方向から聞こえてまた途切れる。

こっちだと思う方へ行くとまた別の方向から聞こえて途切れ、祖父は必死に赤ん坊を探すことの繰り返し。

 

何度目かで、はたと気がついた祖父は、担いでいた竿を確認した。

つるしたはずの魚がなくなっている。

 

祖父は一目散に家へ帰り、祖母にこう告げた。

 

「狐(きつね)に化かされた!」

 

そう、赤ん坊の声を真似ていたのは狐で、祖父が夢中で泣き声のする方を探しているうちに、竿の魚を奪ったのだ。

 

幽霊などは怖くないのに、狐が不気味に思えて逃げるように帰ってきたらしい。

昔は特に珍しい話ではなかったというから驚きだ。

 

それから祖父は、特に狐に用心するようになったという。

 

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戦後の祖父が抱え込んでしまったもの

 

ちょっとほのぼのするような話から一変し、ここからはシビアな内容になる。

 

狐の話な戦前だが、祖父はその後戦争に行っている。

確か中国方面だったと記憶しているが、これも母から聞いた話で、戦争から帰ってきた祖父は生涯一言も戦争について語らなかったそうだ。

 

すっかり人が変わって無口になり、酒を飲んでは暴れる毎日だったという。

どこまで過酷な体験をしたのだろうか。

 

母は言っていた。

祖父は酔い始めると、戦地で歌っていたような聴き慣れない歌を口ずさんでいたと。

 

酒がもとで脳卒中になり、亡くなるまでの長期間、寝たきりの生活を送った。

戦争で見たこと、体験したことは誰も知らぬまま、祖父はひとり抱え込んで墓場まで持って行ったのである。

 

私は祖父がまだ病床に伏せる前に会っているが、抱っこされたことと頭を撫でられた記憶しかない。

言葉は交わしたのだろうか。

声の記憶がまったくないのだ。

 

もう一つ、曾祖母(ひいおばあさん)の話を母から聞いているので記したいが、愛犬家の皆さんには心痛む話になってしまう。

 

読むのをためらわれる人は飛ばして読んでいただきたい。

  

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ひいおばあさんが可愛がっていた小型犬の涙

 

母がまだ幼い頃の話である。

 

戦時下で食料が配給制になって間もなくのこと。

ある日、突然やって来た軍人さん。

 

母は状況がのみ込めなかったらしいが、ひいおばあさんが大事に可愛がっていた小型犬(犬種は失念)を取り上げに来たのだ。

 

これはどこでもあったことで、特に秋田犬の飼い主の話が有名だ。

連れていかれたら犬種が途絶えてしまうと恐れ、犬たちと一緒に山中に隠れていたという。

 

だが、ひいおばあさんにはそんなことはできない。

祖父は戦地へ赴き、祖母は一日中働きづめ。

母たち兄弟(戦後生まれも含めると7人)を育てるのはひいおばあさんの役目だったからだ。

 

食料が配給となったからには、ペットなど言語道断。

昔の民家の多くでは番犬を飼っていたものだが、すべて軍に没収されてしまった。

 

仕方なく、愛犬を引き渡すひいおばあさん。

 

その時、小型犬はじーっとひいおばあさんの顔を見つめ、大きな目の片方からポロっと涙をこぼしたというのだ。

 

生理現象でもあり得ることだが、場面が場面なだけに母の心に悲しい思い出として残っていたのだろう。

兵隊さんの手前、ひいおばあさんが泣いたかどうかは定かではない。

でも飼い主の気持ちは犬にも伝わる。

 

連れていかれた犬たちには死あるのみである。

涙が生理現象だったとしても、今生の別れを覚っても不思議ではないと私は思うのだ。

 

実は私も飼い犬にまつわる並々ならぬトラウマを抱えている。

一つや二つではなく、すべてが昨日の出来事のように鮮烈に思い出される。

 

ひいおばあさんと愛犬の話もとても言葉では伝えられない。

だから思い切って文章にしてみた。

 

この話を読み、傷ついた人がいたらお詫び申し上げる。

誠に申し訳ございませんでした。

 

戦争の一つの記録として綴らせていただいた。

 

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原爆投下後も終戦当日まで続いた空爆

 

私の地元が空爆されたのは、広島、長崎に原爆が投下された後である。

日本の敗戦が決しても、玉音放送の当日まで空爆は続いた。

 

戦争という状況の中で「なぜ」という問いは無意味なものなのだろう。

 

ある米兵は「日本人が憎かった」と言っていた。

 

もし逆の立場なら、日本も同じことをしたのだろう。

 

母は晩年、パニックに見舞われた時に

「アメリカが憎い!あのア○公どもが!」

といきなり口汚く罵ったことがある。

 

そんなことを今まで言ったことがないのに、父親が豹変してしまったこと、ひいおばあさんの愛犬のことなどを思い出していたのかもしれない。

 

5歳にも満たない母が負った心の傷である。

 

日本が悪いで片づけるなら、それは日本国民全員が戦犯であると言っているも同然だ。

別にアメリカ国民を責めたくて書いているわけではない。

 

私が母から伝え聞いたことを記し、結果的に出てきた戯言に過ぎない。

 

原爆や空爆の犠牲者の中には、朝鮮半島から連れてこられた人々も多く含まれている。

 

父が幼い頃を過ごした地区には日本語が通じない人がいて、ひとりで農家をしつつ孤独な一生を終えたという。

通じないふりをしてコミュニケーションを拒んだのか、本当に通じなかったのか、なぜ祖国に帰ろうとしなかったかは誰にもわからない。

お名前は明らかに日本人ではなかったと。

 

また、ロシアに抑留され、解放後もロシアで暮らし続けた日本人もいた。

家族が探し出して再会できたが、彼はもう日本語がわからなくなっていた。

やっと見つけた家族と言葉が通じないのだ。

 

戦争の罪深さ。

いや、愚かさか。

 

様々なケースを羅列してしまって、自分でも収拾がつかない。

ただ私が知る限りでの記録を残したかった。

 

戦争はなくならないだろう。

「今の日本は戦後ではなく戦前」

誰の言葉か忘れたが、ずっと胸にある言葉である。

 

私がこうしてブログを書いたところで何も変わらない。

 

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あとがき

 

無責任と思われただろうか。

戦争を止める方法があるなら教えてほしい。

 

戦争をしていなくても、現代に生きにくさを感じている人は多い。

「どちらにしても地獄だよ」

という人も少なからず存在するだろう。

 

賛否両論ある話題を書いてしまった。

空爆があった日に鳴り響く黙とうのサイレン。

終戦の日に鳴り響く黙とうのサイレン。

 

今回書いたことのすべてをその度に思い出すのだ。

あ、最初の狐の話は別として。

 

同様の文章を書くことは二度とない。

それではまた。

 

  

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