「ひとり介護」前夜の闇
こんばんは。
今日はもうやめておこうと思いつつ、心のナレーションをしにきた山姥です。
※注意:介護について書き始めたら重苦しくなってしまいました。ネガティブな話は読みたくないという方は、ここでお引き取りくださった方が無難です。
スポンサーリンク
まず1つ目。
タブレット、やっぱり駄目。
初期化もできなかった。
違うやり方を検索して探そうとも思ったけど、また脳貧血になる恐れがあるので断念。
戦友よ、リセットできないなんて私と同じだな。
で、2つ目。
脳貧血を起こすわけにはいかない日なんだな。
明日、兄弟は仕事で早朝から家にいない。
父の世話、看護、介護は私が一人でやらなくてはならない。
体調最悪の中、不協和音に耐えつつ何度も同じ質問に答え、何度も様子を見に行き、行く度に不協和音の洪水の中で同じ話を繰り返す。
これに耐えきらなければならないのだ。
はっきり言おう。
できない。
でも、そのできないことをやるしかない。
感情とか意義とかは無関係。
私の精神状態に、私自身が構ってなどいられないのだ。
この夏、私の健康状態が過去最悪だったのは、父の看護&介護が原因の1つ。
兄弟が重い腰を上げ、やっと父のデイサービスなどに踏み切ってくれたが、私は何年も前から希望していたこと。
それでも彼は常に私を戦力に入れている。
「明日、頼むな」
軽い言い方が更に私の不安を逆なでする。
「もう介護はできない」と言いつつ、無理してやってしまう私を見て、やればできるんだろう?とでも思っているのだろう。
できないということを納得させるには、「しない」という方法しかなさそうだ。
介護放棄?
しないよ、目の前にあるうちは。
どんなに自分が壊れてってもやるよ。
やるしかないだろうが。
兄弟を恨んでいるわけではない。
彼は私を理解できないだけだから。
亡くなった母と父と伯母、この3人が私を壊した。
母も父に精神崩壊させられたようなもの。
そのツケは私に回ってきた。
その父を、私は今守っているわけだね。
自分の顔、しばらく見てないよ。
いや、鏡とかで見たかもしれないけど、また自分の顔がわからなくなってきている。
でも今こうして書いている自分、これは私だ。
私はこの世に存在する人間。
まだ生きている人間。
まだ生きなきゃならない人間。
明日を乗り切れるかとか、もうどうでもいいや。
なるようにしかならないよ。
母の時に燃え尽きて固まったはずの溶岩が、またドロドロと赤く熱を帯びて広がり始めている。
とりあえず、死ぬな、自分。
まだ死ぬな。
タブレットは心中にいざなっているわけじゃないからな。
直して、また使うんだ。
どう見ても父の方が長生きしそうだけど、いいか、私はまだ死なない。
うーん、ナレーションというより自分との対話?みたいになっちゃいました。
でも書いて少し落ち着きました。
自分の心を見ました。
いつもと人格違ってごめんなさいね。
また、読んでいて不快になった方がいらしたらお詫び申し上げます。
誠に申し訳ございませんでした。
それではまた。
スポンサーリンク
ポチっとお願いします!
応援ありがとうございます!