例えばブログにみっともないことを書いたとか、醜態をさらしたとかしたとする。
実際、よくやってるけどね。
そんな時、また能面のせいにするのかな?
これは本当の自分じゃないって。
能面のおかげで生き延びてきたのにか?
大きな罪も犯さずに済んだのは能面のおかげでしかないだろ。
奇跡だよ。
自分の醜悪さを晒す。
そこがスタート地点だったはずだ。
記録として残すために。
何のため?
さあね。
子どもも産めずに人生を終える荒んだ女の自己満足かな。
だってさ、考えてみなよ。
介護を終えたら何が残る? 心に、だよ。
解放感?
うん、私も一度は味わった。
やっと自分のために物事を考えられる、治療ができるって。
でもその後にやってきたのは身を焼き尽くすほどの業火。
私の介護は終盤、もう何の役にも立ってなかったから。
それでも介護を任される。
相手は「痛い」「寂しい」と対処しようのない言葉を繰り返して、「△△して!早く!」と命令を下し続ける女王様。
危なかったねー。
よく凌いだ。
私に対して「さっぱり顔見せない」と愚痴ってたらしいけど、あなたはそのおかげで守られたんだよ。
私はあなたの苦しみと痛みを楽に止める方法を毎日考えていたんだから。
病院で生死を彷徨っているあなたに、私は微笑んでお別れの言葉を告げた。
意識不明だったから聞こえてないけどね。
その後、持ち直したけど、病院にも退院後に移った施設にも、私は一度も行かなかった。
駐車場まで行ったことはあるけど、車を降りることができなかったんだよ。意識があるあなたに会うのが怖かったから。
次に会ったのは亡くなる直前の意識不明の状態の時。
前夜、危ないかもしれないという話を聞いて、私は何をしてたと思う?
自分の部屋で気持ちよく椎名林檎の歌を歌いまくってた。
不協和音さえ狂宴を彩る美しい音色となっていた。
狂ってたのは私の方だったんだよ。
葬式には葬儀屋が驚くほどの人が集まったね。
みんな泣いていた。
あなたの世話になった人たち、あなたが発病する前の姿しか知らない人たち。
みんな号泣。
父も兄弟も泣いてた。
泣いてないのは私だけ。
もう長いこと泣いてない。
泣けないほどのショックを受けていると勘違いした人が心配してくれた。
笑いそうになるのを必死に堪えた。
ショックなんてあるわけないでしょ。
でも、亡くなった日は一睡もせずに線香を絶やさないようにして、ずっと傍にいた。
ひとりでずっとあなたの顔を見ていた。
なんでそんなに綺麗なの?
やっと痛みと苦しみから解放されたね。
私ならできないよ、そんな頑張り。
労う気持ちが湧いてくるだけ。
でも悲しくなんかなかった。
あなたが苦痛から解放されたことが嬉しかった。
私があなたから解放されたことが嬉しかった。
だからもう怖くない美しい山姥に戻ったあなたを朝まで見つめていた。
喪主代行を兄弟が務めた。
葬儀社との打ち合わせはほぼ私が指示をした。
兄弟ひとりでは荷が重い。
細かいことは私がパパッと決めて、彼が思い悩まずに行動できるようにした。
葬儀の参列者を多めに見込んだのは正解だった。
私はそれくらい冷静だったのだろう。
絶縁状態のあいつは呼んでもいないし知らせてもいない。
これで思い知っただろう。
もう身内ではないということを。
しかし泣いてないねえ。
軽く20年は泣いてない。
どうやったら泣けるんだっけ?
感動の物語を観ても効果なし。
いとこの自殺の状況を聞けば泣けるかな?
ま、無理だよね。
震災の津波被害、台風の被災地を見ても、どんなに心は動いても涙だけは出てこないんだから。
そういう体質だと思っておこうか。
即位の礼という特別な日に晒す醜悪さ。
まだちょっと遠慮気味に書いているけど、読んで不快になる人も多いだろう。
「メンヘラ」っていう都合のいい言葉があってね。
それに加え、私は「介護うつ」という免罪符まで手に入れた。
許されるためではない。
罰を受ける道筋ができただけ。
闘病したって治らないことがわかりきってる「闘病記」。
時々、世のため人のためなんて雰囲気出すことあるけど、あれ、自分に酔ってるだけ。
でもおふざけではやってないよ。
本当にうつ病になって治療して、何かを相手に闘ってるのは確か。
要介護者と同居してて、時々世話を任される介護うつ患者に逃げ場はないからね。
テレビでは厳かな儀式の模様が流れている。
どさくさ紛れの吐き出しになっちゃったね。
あー久しぶりに椎名林檎熱唱してみよっかー。
私の部屋、いくら大声で歌っても1階には聴こえないから大丈夫。
それじゃまた。
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