山姥の戯言日記

セルフネグレクトの介護うつ闘病記 「私の場合」の過去と現在を行ったり来たり

大丈夫、大丈夫

こんばんは。
いきなり画像ですが、モノクロではありません。
 
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まだ薄暗い時間の雪だらけの川です。
 
またしても遠くからズーム撮影しました。中央右寄りに群れているのがカモたち、そして左にはシラサギが一羽。さすがシラサギ、雪と同化しています。本当は近くではっきり綺麗に撮りたいのですが、警戒心の強いシラサギは逃げてしまうでしょう。
 
今日は不安が強い日で、何にも集中できません。
月に数回あることですが、明日、認知症の父と二人で留守番しなければならないからです。症状はまだ軽い方ですが、一人で外出して迷子になり、警察に保護されたことが三回、一般の方にお世話になったことが一回あり、目を離すことができません。
 
私自身も病んでいて、正直、介護は無理です。母と互いに苦しみ続けた二十年近くの日々で、介護の気力と能力はすべて使い果たしました。その母がやっと解放してくれて、今度こそ自分の治療をと思っていたのですが、甘かったです。
 
母が亡くなる前、「もう介護できない、嫌です」と心療内科の先生に思い切って告白したら、「でもやらないとね、娘なんだから」と誰でも言える当たり前な返しをされ、話すことをやめました。
 
あのね、近所のオジサンに愚痴こぼしてんのと違うの。そんなこと言われなくてもわかってんの。だから長いこと必死に尽くして、壊れた末にあなたの病院に通ってんの。そんなことも理解してくれてない状態で治療してたの?いや、治療になってないよね。薬を処方してくれてるだけだよね。何年通った?時間返してくんないかな。
 
と、心の中で長い長ーい捨て台詞をはき、通院をやめました。
 
今の先生は、医者じゃなくても言える当たり前なことは言いませんが、初診の時にあれだけ詳しく話したにも関わらず、PTSDやセルフネグレストに関して一言も触れません。質問には答えてくれても、内容は抽象的で消極的で、希望を感じられる方向へ導く言葉は皆無です。でも薬は必要なので通うしかなくて。
 
そこでやっと気づいたわけですよ。前の先生が特別に悪かったわけじゃなくて、心療内科というのはそういうものなんだと。おそらく私に必要なのは精神科というところだったのかもしれません。でも今の状態では、もう他の病院に行くことは不可能です。体力的にも精神的にも。
 
だから前向きに諦めました。治してはもらえない、治らない、じゃ一生つきあおうと。私の健康状態なら、あと十年から二十年も生きれば上々でしょう。それまでの間、自分の人生を「自分で生きた」と感じたいと思い、唯一できること、ネットへの復帰に漕ぎつけたわけです。
 
神経張り詰めてピリピリしてますが、明日を何とか乗り切ります。
大丈夫でしょう。大丈夫です。きっと大丈夫。
大丈夫、大丈夫。