今日は午前中は晴れているものの、昼過ぎから雨になり、悪天候は明後日まで続く予報が出ている。
昨日は大変失礼した。
時々ああいったことが起きるので、気にしないでいただきたい。
本日も、今のところは清々しく過ごしている。
体調も精神面も悪くはない。
といっても、昨日のようなこともあるから油断はできないが。
書かなければいいのだけど、ブログを書いている途中にアレが始まると、そのままを書いて投稿してしまう。
確かに記録といえば記録だ。
自分を罵倒したい自分が表出すると、己の力では抑えられなくなる。
解離性障害が原因かと考えているが、本当のところはわからない。
自分との喧嘩は心の中だけに留めているので、日常生活に支障はないし、この問題は放置しておくつもりだ。
私としては、ブログには何でも正直に記録したい。
不快な思いをされる方がおられるかもしれないが、何卒、ご理解賜りたい。
嫌だ、理解したくないという方には、自作自演と思って納得していただこう。
自分で書いているのだから、その解釈も正解である。
自分でも自分がわからないというのは、本来なら、もっと気にするところだろう。
3年くらい前だと、結構、気にしていた記憶がある。
でも、もう疲れた。
自分を追い込むまで考えても、パニック発作という返り討ちにあうだけなのだ。
だから自分を掘り下げ過ぎるのは、やめにした。
触れない方がいい、もしくは触れてはならない自分が、心の底で生きているのだから。
自分を罵るくらいの自分は可愛いものである。
果てしなく鬱陶しいけどね。
まあ、何の症状でもいいや~と開き直って生きていくのが、テキトーな私には合っているし、生きること自体も辛くなくなる。
なんてね、思うわけよ。
心療内科の医師に明かしたところで、事態が好転するはずもない…と、自己判断はよくないとも思うけど、今まで医師と会話した中でそうとしか思えないんだよね。
批判してるわけではないよ、決して。
医師はね、はっきりしていることしか言えないものなの。
特に精神疾患に関しては、そう感じる。
「うん、そうかもしれないし、違うかもしれないね。過去のことはそうとしか言えない」
自己診断が合っているのか、勇気を出して質問した時、何度も言われた言葉だ。
私が質問したのは、子どもの頃から精神疾患患者があったのではということや、生まれた時のこと。
私は仮死状態で生まれ、最初は息をしていなかったのである。
医師が対処し、すぐに呼吸をして泣き始めたと聞いているが、その『すぐに』がどれほどの時間だったのか、わからないのだ。
生まれた時は、へその緒が首に巻き付き、既に顔は紫色だったという。
それを考えると、脳に血液や酸素が巡っていなかった時間が、秒単位だったとは思えない。
脳に何らかの影響を及ぼした可能性があるのではないか。
そう考えた末の質問だったのだ。
だから、医師の返答には納得するしかない。
もう、過去のことを知る術はないのだから。
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
私の病、そして人生全般に言えることである。
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あら、思いがけず、真面目に語ってしまったね。
昨日の反動かな?
そろそろ雨が降り出しそうだ。
それではまた。
応援ありがとうございます!