はてなブログのお題「ささやかな幸せ」
今回は私の闘病、認知症の父の介護について記録しておきたい。
まずは17日の水曜日の出来事から。
その日はブラザーは遠出の仕事、父はデイサービスの日だった。
ブラザーは早めに帰り、父の出迎えをしてくれた。
私は夕方にはブログを投稿するつもりでいた。
でも初めての音声入力が楽しくてつい遊んでしまったり、初めてのタブレットでの記事作成に手間取ったりしてしまい、結局、投稿したのは夜遅くになってしまった。
気持ちは解放され、後は眠剤 ( フルニトラゼパムとミルタザピン ) を飲んで眠るだけ。
穏やかな心のままで。
ところがである。
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眠剤を飲むための水を一階に取りに行くと、父が起きていた。
トイレや洗面所は散らかし放題で物だらけ。
しかも、かなり不機嫌。
すぐ近くの部屋は母が過ごしていた部屋で、最後まで介護をしていたブラザーが、今も寝室として使っている。
彼が就寝してから2時間も経っていないというのに、不機嫌な父の声となだめる私の声は、彼の枕元で行われているも同然なのである。
それでなくても、父は彼に起きろと怒鳴り、意味不明なことを言って怒っていた。
ブラザーは晩酌をして眠ったばかり。
すぐに起きられるはずもなく、父をあしらっていた。
やはり私が相手をするしかない。
「 これは何だ? 言ってみろ 」
「 この奥の部屋は何の部屋や?」
不機嫌さと猜疑心を感じさせる口調。
要するに、ここが自分の家であること、私が家族であることが、またわからなくなっているのである。
説明しても1度や2度では納得しない。
酔っ払いが絡んでいるかのような様は、私が幼い頃から抱いているトラウマを強く刺激する。
心の奥底で、醜い化け物が蠢くような感覚。
「 私のこと信用してないの? 」
無意識に低い声で尋ねていた。
なだめる時には使わない挑戦的な声音と物言い。
「 あだりめだ 」 ( 当たり前だ )
何が当たり前なのか、おそらく父もわかっていない。
腰が痛いと訴えると、父の怒気はおさまったものの 、解放される気配はなかった。
腰が痛かったのは事実である。
父に次々と物を渡され、別のところに置こうとすると怒るので、仕方なく持っていた。
だが、重くなるにつれて徐々に痛み出したのだ。
普段、散らかす時の父と違って苛立っているし、いつ解放されるのかと途方に暮れていた。
すると、なんとブラザーが起きてきたではないか!
戸を挟んだ枕元で騒いでいれば当然だと思うかもしれない。
しかし、寝てから間もない普段の彼なら、どんなにうるさくても起きることなどないのだ。
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驚きながらもホッとした私。
ちょうど父がトイレに入ったところだったので、互いに無言で入れ替わる。
この辺の連携プレーは兄弟ならではというか、阿吽の呼吸だ。
その後、階下から大声が聞こえることもなく、ブラザーは穏便になだめて父を寝かせたようである。
その日の私にはできなかったこと。
それを彼は最善の方法でやってくれた。
翌日( 昨日 )、起きてきてくれた礼を私が言うと、彼はこう返した。
「 いいや。驚かせて悪かったね 」
謝ったのは、おそらく彼に父が怒鳴っているところに私が居合わせたことだろう。
彼のせいではないのに、私のトラウマを知っているがゆえの優しさである。
重度のうつ病になっても彼がいてくれる。
それが私のささやかな...いや、大きな幸せだ。
ちなみに私の腰痛はまたひどくなり、昨日から久々に鎮痛剤を飲んでいる。
それでも覚えたばかりの音声入力で、こうしてブログを書けることは本当に嬉しい。
以上が私のささやかな( 大きな )幸せのお話。
それではまた。
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