障害年金の手続き 年金事務所・市役所・病院・トラウマの医者
昨日3月3日は年金事務所に予約をした日だった。
予定では行くのは年金事務所だけで、後は電話での連絡で済むはずだったのに、そう甘くはなかったのである。
結果的に年金事務所→市役所→通院中の病院と、3箇所を巡ることになった。
しかも前の病院にも電話をしなくてはならず、受け付けの女性と話しているうちに、あの医者が電話口に出た。
私にとってはトラウマである存在。
今回は昨日の目まぐるしい行動を記すことにする。
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年金事務所でまず2件の用事を
障害者年金を申請する場合、申請する資格があるかの確認が必要だ。
加えて私は外で勤めていた時期があり、厚生年金の手帳はあるのに申請されていない模様で、その確認もあった。
勤めに出ていた頃はもちろん自分でお金の管理もしていたし、家にも3万円は入れていたと思う。
アルバイトの時は国民保険なので、それらもすべて自分で把握し自分で支払っていた。
ちなみに20年以上前の話だが、家に入れる金額として3万円は高いのか低いのかどちらだろう?
主婦であり、父とともに接客もする母は、お金を使いたい時は父から貰う。
そんな母が自由に使えるお小遣い? の意味も含めた金額として、今思えば少なかったような気がする。
母に好きなように使ってほしかった。
でも母は私が渡したお金には一切手をつけずに…。
話が逸れた。戻そう。
自分で管理できていたのは母の症状が悪化する前までだった。
その頃の私は自宅で店のホームページ運営をして稼いでいたので、あくまで一応でしかない給料を父から支払われる。
もう外へは出られず、人と会話もできず、昼夜逆転の生活にして家族との接触も最低限にするようになっていた。
家族のための料理はするが、自分のことなど何もできない。
通帳や国保の手帳類もすべて父に預け、何もかも父に任せっきりにしていたのである。
認知症になる前の父は、確定申告の書類も全部自分で書き上げてしまうほどしっかりしていた。
十数年は続いたろうか。
今度はブラザーにバトンタッチである。
やはり彼も確定申告書を1人で書き上げていた。
どちらもパソコン音痴で私を苛つかせたくせに、アナログな作業は一流のようだ。
そんなわけで私は父に次いで、今度はブラザーに任せっきりになったのである。
東日本大震災後、私の症状は一気に悪化し、彼に何度も年金関係の質問をされたことがあるが、内容はほぼ憶えていない。
おそらく免除手続きに関してのことだったのだろう。
今まで送られてきた年金関連の封書や、厚生年金の手帳も渡したのは憶えていた。
だから今回、自分で手続きを行うにあたり、彼に年金手帳を返してもらおうとしたのだが、先日書いたように出てきたのはオレンジの厚生年金の手帳だけ。
国民保険の手帳は行方不明であるが、基礎年金番号がわかればいいというのでとても助かった。
病院もだけど予約制というのは実に合理的で無駄がない。
通院の距離の倍以上あるので、決死の覚悟でブラザーが運転する車で送り迎えしてもらうことにした。
緊張感のせいか気分が悪くなることはなかったのが幸い。
予約の15分以上前に到着し、番号札をもらって待つ。
呼ばれるまでそんなに待たされなかった。
早めに行ってよかったと思う。
担当者は声から察するに、電話した時に優しく応じてくれたおねえさんである。
まず初診日を確認され、申請資格を満たしていることがわかった。
その頃に管理してくれていた父に感謝である(珍しい…)。
次にオレンジの手帳を渡すと、やはり登録されていなかった。
私は同じ職場で長く働くことができずに点々としており、該当する職場は2つ。
証書を持参して行ったので正しく職場名を記入することができた。
証書には開始年月日しか記されていないのが不安だったが、本人であることがわかり、会社名も憶えていれば問題ない様子。
終えた期日は向こうが把握しており、手続きはスムーズに終了。
その時の担当者さんの台詞。
「はい、これで埋まりました」
埋まった…とは?
推察するに、そこだけ空いていて、未納扱いになっていたということかな。
合計すると約3年。これがただの未納になっていたら悲しい。
2つ目の職場なんて超ブラックだし、入社する前の話と条件が違うしで、それでも我慢して必死に勤めたんだ。
それが無かったことにならなくて報われた気分である。
最後に、今後の手続きは年金事務所と市役所のどちらで進めるかと問われ、躊躇なく歩いて行ける市役所を選択。
普段より3割増しで丁寧にお礼を言い、気分よく年金事務所を後にした。
前の病院に電話 トラウマの医者と話すことに
駐車場に出てからブラザーに迎えに来てくれるよう電話をした。
「ちょっと時間かかるかも」
「うん、いいよ」
そう返事をして電話を切り、はたと思いついた。
時間があるのなら嫌なことをここで片づけてしまおうと。
初診日の証明に必要な「受診状況等証明書」のことである。
ずっと同じ病院なら基本的に必要ないらしいが、それもケースによって違うので申請の際は確認が必要だ。
ブラザーを待つ間、前の病院に電話をして依頼することにした。
応対した受け付けの女性は、私が何か言う度に「ちょっとお待ちください」と言って確認作業を繰り返す。
何度目かの「お待ちください」の後に出たのは男性。
あの医者だとすぐにわかった。
どこかで想定していたのか、自分でも驚くほど動揺はなかった。
理路整然と説明できたと思う。
あちらも納得したが、話を聞いているうちに疑問が。
「じゃ、まず持ってきてもらってーー」
というフレーズが2回出たところで、こちらから質問。
「あの、最初に受診状況等証明書を私が持って行くということですか?」
すると…
「そりゃそうでしょ? こっちにあるわけないでしょ」
不機嫌丸出しの声音。
「そっちにないなんて私が知るわけないでしょ」と思いつつ、低姿勢で謝罪し、書類を持って行くということで話は終わった。
まあ、終わる前に…
「時間かかるよ」
と冷たい一言を浴びせられたが。
私が今通っている病院名を聞いたせいもあるだろう。
薬局で耳に挟んだが、この医者から私の先生に鞍替えしたがっている人が多いらしいのだ。
それには紹介状が必要らしく、医者も実感していることだろう。
電話が終わると同時にブラザーが車で現れた。
医者のことより次にすること。
帰途の車中で頭をフル回転させ、市役所で降ろしてもらうことにした。ここからなら歩いて帰ることができる。
なぜか対戦モードの私。
あの医者の次はあのAI職員である。
衝撃の事実!あの職員はAIじゃなかった!
空いていた窓口に座ると、偶然また彼女が担当で、私を見るなり先日の強面おばさんとわかった様子。
「あ、この前の…」
と言って微笑んだのである! マスクで目から上しか見えないが確かに微笑んだ!
「ええ、そうです。今、年金事務所に行ってきました」
私も負けじと微笑んだものの同じマスク姿。伝わったかは疑問である。
申請資格があるとわかったからには書類をもらうのが目的。
次々と目の前に書類が並べられ、次々と説明が進む。
やはり「受診状況等証明書」は役所からもらうものだったようだ。
そればかりか今の先生に書いてもらう「診断書」も特別なものらしく、病院に持って行くようにと渡された。
本当に前もって何も教えてくれないのね。
その場で初めて必要なものを知る……なんかもう慣れてきたわ。
時計を見ると夕方の5時近くになっていた。
間に合うと確信した私は、やはり3割増しでお礼を言いつつ市役所を飛び出した。
あの職員さん、絶対美人。
目に感情が灯った途端に顔つきも変わった。
次に行った時、マスクしてないといいな~。
今の病院の受け付けへ走る
文字通り走った。小走りだったけど。
受け付けに直行して「診断書」を渡し、説明を終える。
受け取ったおねえさんが「時間がかかるかもしれませんけど」と言うので…
「大丈夫です、あっちの先生の方が遅いはずですから」
思わずキッパリ言い切った。
すると、やや年嵩のおねえさまが苦笑しながら呟いた。
「そうねえ…○○先生はねえ…」
若いおねえさんはポカンとしていたけど、彼女はいろいろとご存知の様子。
私は彼女のその反応で「やっぱり」感がますます強くなった。
これで昨日の任務は終了。
後は前の病院に書類を届け、書いてもらうだけである。
もちろん自分が書く書類もそこそこあるが、あの医者は何をどう書くのかな。
時間かかるってどのくらいかかるのかな。
せめてあのセリフを私に言わせないでね。
どんだけぇ~~~!
ってね。
最後に
帰宅して一休みすると、やって来ましたよ、鬱の大波が。
年金事務所、市役所、病院のはしごをして帰宅したのは夕方。前の病院にも電話を。質問する度に「ちょっとお待ちください」連発で遂にあの医者が電話口に…
— やまうば@うつ病治療中のセルフネグレクト (@Ukq1P) 2020年3月3日
相変わらずだった。疲れたし鬱も刺激を受けた模様なのでブログは明日書けたら書きます。#鬱#うつ病#ブログ書け
疲労感もあったし、ブログ巡りが少しできたくらいかな。
でも申請できるってわかってよかった~。
書類、めちゃくちゃ丁寧に詳細に書きます。
今は鬱、軽めかな。
それではまた。
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