いつもの石のカエル 2019年12月11日撮影
中学からの親友のお母様が亡くなった。
病後療養中だった従兄(いとこ)がとんでもないことになっていた。
ケアマネさんたちとの話し合いは、やはり現状維持となった。
現在、私は鬱(うつ)の真っただ中、甚だ不安定である。
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単純過ぎるのぼせ対策 届いた悲しいハガキ
昨夜もゾルピデムはよく効いてくれて、充分過ぎるほど眠れた。
のぼせ対策として、いつものぼせてから着替える服を最初から着る。寒かった。
洗い物など、そこそこの家事を済ませてから食事。薬(サインバルタ・モサプリド・アルプラゾラム・加味逍遙散)を飲んでしばらくしても、のぼせは来なかった。
勝った……じわじわと胸に広がる勝利の陶酔感。
セーターを着なかっただけなのに、これだけの効果があるとは。寒い朝はセーターを着ても、食べる前に脱げばいいのだ。食後ののぼせ対策はこれでよし。
問題は時間や行動に関係なくやってくるのぼせだが、そちらはだましだまし行こう。
体調も精神面の状態も良好だったのだが、ケアマネさんたちが来る前に1階に行った時、私宛てのハガキが置いてあった。
この時期に来るといえば喪中のハガキ。
私は年賀状のやり取りをしている友人が3人くらいなので、その中の誰かに不幸があったということだ。
差出人は中学時代からの親友。お母様が亡くなったとのこと。
彼女は中学時代、たった一人の私の味方だった。どれだけの気遣い、思いやりを貰ったか計り知れない。
卒業してから2年後か3年後に同窓会があったのだが、私には招待状が来ず、その事実を知った彼女は幹事たちにキレたという。私は彼女が怒ったところを一度も見たことがない。笑顔で温厚な彼女しか知らなかったから。
気が収まらずに、その後で会った時も文句を言う彼女を、私は礼を言いながら宥めた。どうせ会いたい子なんて彼女しかいないし、私も荒れている頃だったし。
母の葬儀の翌日だったと思う。私は敢えて知らせていなかったのに、彼女は来てくれた。実際に会うのは二十数年ぶり。
彼女はフルタイムで働きながら3人の子どもを育てている多忙なママで、私は母に病の兆候が出始めてからは、直接会う形での交流は一切絶っていた。神経がすり減ってやつれた姿で会いたくなかったのだ。彼女以外の友人たちとも同様である。
彼女は最後に会った時と少しも変わっていなかった。
私は嬉しさでハイになり、何かペラペラと喋り続けた記憶がある。冷静に思い起こすと「メンヘラの不幸人生ダイジェスト版」のような仕上がりだ。彼女はきっと引いたことだろうが、メール先の交換をしてその日は別れた。
そして、彼女の母親が亡くなった。私は駆けつけたくても行けない。車にもタクシーにもバスにも乗れないのだから。
何とか兄弟に代理を頼んだ。お悔みもいただいているので何もしないわけにはいかない。それに私が行くとしても、我慢して兄弟に車で送ってもらうことになるので、どちらにしても彼は行くことになるのだ。
彼女の母君様、大事な娘が私とつきあうことをあまり良く思っていませんでしたよね。それでも遊びに行くと優しくしていただいてありがとうございました。あなたの大事な娘さんのおかげで、私は中学時代を生き続けられたのです。彼女を産んでくださり心より感謝します。
どうか安らかにお眠りください。
要介護者の従兄から介護者の奥さんを救いたい!
冬に残る庭の紅い葉と実 2019年12月11日撮影
私を鬱のどん底に落としたのは従兄である。
6つくらい年上で、父の一番上の姉の1人息子。父親はいない。
結婚歴ありで子どもも1人いるが、離婚して相手側は既に再婚。現在は入籍はしていないが、同じ独り身だった女性と夫婦暮らしをしている。
寂しがり屋で見栄っ張りで甘えん坊。
はっきり言おう。
男として最低の部類である。
それなのに女性が切れないのは、優れたルックスと甘え上手以外に他ならない。こんなに男を見る目がない女って多いの? と驚くほどに切れ目なしである。
金にはいつも困っていて結婚も逆玉狙い。お相手は何軒も店舗を経営している賢そうな女性だったが、気づかないもんなんだね。彼女とダブる時期に長年同居していた女性に、金を借りるだけ借りさせて自己破産させて捨てた男だよ。
マジ、父方の縁者ってろくなのいねえ。
私みたいなのが生まれるのも納得だわ。
で、その従兄、去年あたりに脳卒中だか脳梗塞みたいなことになって手術。自分では動けず、退院後は施設に入ることになった。
県内に住むものの、車で1時間半かかる市で暮らし、年賀状以外では数年に一度、連絡を取る程度のつきあいだった。なので、奥さん(内縁)とは「はじめまして」状態。
母が亡くなって様々な手続きを経験したばかりのマイブラザーが、度々行って手続きの代行をした。高額医療費などは返ってくるといっても、月末までに申し込んでおかないと、一旦は高額な医療費を請求されるのだ。月末ギリギリだったのでブラザーは飛んで行った。
受け入れ施設も決まり、彼が手続きをし、それからは従兄はリハビリに励んでいた。私は今日知ったのだが、その後、リハビリのおかげか要介護度が下がり、施設を出なければならなくなったのだという。
奥さんと2人暮らしに戻ったわけだ。奥さんは優しくて真面目な方だが、軽度の同じ病歴があって健康面で心配のある方だった。
今日、ケアマネさんたちが帰った後で電話があったらしい。
従兄は後遺症(?)の被害妄想が激しく、奥さんの言うことをなかなか聞かない。激しい言い争いの中、カッとした奥さんが何か家具を倒し、従兄が警察を呼んだという。
ブラザーが受けた電話口に警察官が出て、「奥さんが死にたいと言うので宥めている」「警察が呼ばれたのは数回目」「奥さんはもう限界ですよ」と告げたらしい。
それを聞いて私の心はずっどーーーんと底まで落ちた。
従兄のケアプランはどうなっている? 奥さん1人に任せっぱなしか?
怒りにも似た思いが沸き上がり、ブラザーに従兄のケアマネージャーと連絡をつけるよう頼んだ。奥さんに教えてもらうしか方法はない。
まだ警察に宥められていたらしい彼女は、「あのケアマネは頼りない」「仕事が遅過ぎてこっちが何度かキレたほど」と返したという。ケアマネチェンジもできるのだが、今からでは既に時遅しである。
「1人で抱えないで」
「こっちの施設探すからね」
「謝ることないよ」
「俺らもあなたのこと守りたいしさ」
「1つ1つ解決していきましょう」
ブラザー、貴様ってやつは相変わらず私以外にはストレートにカインドネスだな!
でも私も同じ気持ちだった。彼女を守りたい。従兄にはこっちの市内の施設を探して入ってもらうしかないだろう。
昔は憧れのお兄ちゃんだった従兄よ、結局は女を1人も幸せにできなかったな。1人も守れなかったな。生まれ育ちの環境には大いに同情するけど、あなたの罪は重いよ。
背負ったまま生き続けるしかないね。
同族の私が10分の1だけ肩代わりしてやっから踏ん張りな。
マジ、介護うつとか言ってらんねえわ。
認知症の父の介護プランの話し合い 現状維持!
まだ実っている庭のナンテンの実 2019年12月11日撮影
修羅場の途中経過中に、ブラザーに父の話し合いについて手短に説明を促した。
ケアマネージャーとデイサービスの人が来るのだと思っていたら、デイサービスではなくショートステイ関係の人だったようだ。ブラザーの事前情報は度々誤りがあってややこしくなる。
で、認知症の父の要介護度が「2」に上がった確認と、ショートステイの説明があったらしい。「お試し」というのがあるらしいのだが、もう年内のショートステイの予約はいっぱいだとか。
「お試し」でさえ来年以降、しかも「高いんですよー」と申し訳なさそうに施設の人は言ったらしい。
ほらな、諦めるしかないんだよ。
ブラザーも私に申し訳なさそうに「俺がいない日の介護、できるか?」と。
できなくても言えねえだろ。「できない」なんて。
こうなったらもう介護うつではない設定にしよう。
何がいいかな……あ、「Googleアドセンスうつ」ってどう? 受かったら治るの。
そう、私は治るのよ~ ♪♪
よっしゃ、この勢いで今夜は罪と罰歌いまくったる!
それではまた!
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