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山姥の戯言日記

うつ病 解離性障害 セルフネグレクト 骨粗鬆症の闘病・雑記ブログ「私の場合」

うつ病の闘病記録 今日の画像 幼馴染みのアナウンサー

 

遠い昔の思い出 大人になってから幼馴染みと再会

 

庭のさざんか

 

今月も半分きたか。

あっという間にこの1年も終わるんだろうな。

私にとって激動だった1年も、あっさりと。

 

 

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うつ病は半身浴状態 早く慣れたい

 

強い落ち込み状態から脱したものの、うつには半身浴程度の状態でずっと浸かったまま。

うつ病なのだから当たり前か。

 

私は治療を始めたばかりだから気になるけど、そのうち意識しなくなるのかもね。

そうなったら楽なんだろうなあ。

 

サインバルタ・モサプリド・アルプラゾラムの三銃士は大活躍してくれていると思う。

 

特にわかりやすいのが、直接胃腸に作用するモサプリドの効果。

生きるために必要な食欲をしっかりと感じさせてくれるようになった。

本当に、夏まで食べていた量の少なさが今更になって恐ろしくなってくる。

希死念慮の自覚はなかったが、明らかに無意識の死へと向かっていた。

 

自覚がなく医師に訴えもしないのだから、治療などされるはずもない。

父の介護で追い詰められなければ、鬱の診断も治療もなされなかったのである。

母の時も追い詰められ、医師に訴えたがこれまで何度も書いた通りの反応で終わった。

 

 

あと4日で治療開始から2ヵ月。

本当は薬の副作用などをまとめた記事も書きたいのだが、そんな作業ができるまでには回復していない。

 

セルフネグレクトに関して、件の医師の記事も発見できたのに、しっかり書かねばならない内容なので手がつけられない状態。

 

やっと自覚するに至った「うつ」に慣れるまで。

或いは「意欲」らしきものが力をつけるまで待つしかない。

たぶん、体力もまだまだ足りていないだろうし。

 

決して焦っているわけではない。

 

ただ滅入るだけだ。市役所にさえ行けない状態の自分に。

ひとりで父の介護をする度にダメージを受け、回復しきる前に、またひとりで介護する日がやってくる。

やはり来月、先生に薬を増やしてもらおう。

このままでは危険だ。

 

深刻な話を書きながらもお腹は空く。

よし、空腹感に素直に従おう。

 

人格変わって「今日の画像」 雲と山茶花の3枚だけ

 

えへ、ご飯食べたらちょっと元気になっちゃった。

マグロのお刺身と……いやいや、まずは今日の画像。

 

雲のグラデーションにご注目を。

 

初冬のグラデーション豊かな雲たち

 

ああ、木が邪魔、電柱邪魔と思いつつも撮っちゃった。

 

更に左にカメラを向けていって、電線邪魔!と思いつつ撮っちゃった。

 

山際のグラデーション豊かな初冬の雲

 

いやあ、雲って本当に綺麗。

生きてないのに感じる生命力って何なのだろう?

この後、思いっきり土砂降りになったのであった。

 

あ、振り出す前にうちの2階から撮った山茶花(さざんか)。

縦長。

 

山茶花(さざんか) 縦長

 

木全体からいうと、左上4分の1くらいかな。

だって真ん中らへんが蔓(つる)の植物に巻き付かれちゃって、花がほとんど見えない状態だったの。

ほら、右側に写ってるよね、巻き付くやつ。

 

おのれ~、届く距離ならば一気に取り除いてくれるものを。

高さもだけど、この真下は足が踏み入れられない状態になっているのじゃ。

無念。

 

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一気に時間を飛び越えさせてくれた幼馴染み

 

今日、ちょっとした話題で幼馴染みを思い出し、書いてみようと思った。

私の記憶が正しい頃の、ちゃんとした記憶であり、大切な記憶の1つ。

 

ここに引っ越してくる前の地。

 

道路を挟んで向かいに彼の家があり、彼は兄弟と同い年。

 

私は小さい頃から男の子とばかり外で活発に遊んでいた。

女の子の家にお呼ばれしたこともあるけど、お人形さんごっこ? 何が面白いの? という子ども。

人形遊びばかりではなかったと思うが、女の子と遊んで楽しかった記憶は一つもない。

 

人形のおうちでお料理作りの真似事をするより、泥団子を作って泥だらけになってる方が性に合っていた。

で、兄弟や同い年の幼馴染みは子分扱い。

 

稲刈りがとっくに終わって乾いた広大な田んぼで、よく野球をした。

知らない男の子が混じっててもそんなの気にならない。

野球は人数が多いほどいいからね。

 

男の子同士はすぐ喧嘩になる。

でも放っておく。

喧嘩して泣いても数分後にはまた仲良く遊んでいる…それが当たり前の世界だった。

楽しかったなあ。

 

幼馴染みはどちらかというと坊ちゃまタイプ。

一緒にはしゃいだりはするけど喧嘩はほぼしなかった。

いつもニコニコしてる優しい子。

 

でも一度、兄弟と取っ組み合いの喧嘩になり、負けて泣きながら帰ってしまった。

家の外にいたおばさん(彼の母親)は「喧嘩に負けて泣いて帰って来るんじゃない! やり返しておいで!」と、私たちに聞こえるくらい大声で叱った。

その後どうしたかはよく憶えていないけど、すぐ仲直りしたんだろう。

また一緒に遊び始めた。

 

喧嘩したって友だちは友だち。

そこは揺るがない年頃だったんだよね。

 

互いの誕生日も呼んだり呼ばれたりして、一緒にケーキを食べていっぱい遊んだ。

でも小学生も中学年になってくればね、それぞれ別の気の合う友だちができたり、男女一緒に遊ぶのに抵抗感も出てきたりして。

小さい頃のベッタリ感はなくなる。

 

特に幼馴染みが優等生なのに対し、兄弟は誰に似たのか悪ガキ連中とつるんでた。

仲はいいままだけど距離だけがちょっと開いた感じかな。

 

私たち兄弟が10代の前半で引っ越しちゃったから、会う機会もなくなってしまった。

でも彼が高校生の時、「お祖母さんに線香を上げさせてください」と訪ねてきたことがあったの。

 

うちは両親共働きで日中はお祖母さんだけ、私たち兄弟も彼もお祖母さんに見守られながら一緒に遊んで育ったんだ。

その思いを忘れることなく、わざわざ足を運んでくれた彼。私と同じ進学校に進み、帰る途中に遠回りをして寄ってくれたのだ。

本当に立派で優しい子だよねえ。兄弟とも久々の対面。

 

しかしである。

別の学校(現在は全国的な有名校)に進んだ兄弟の部屋には、「電車待ち」と称して毎日たまる悪ガキどもが2人はいた。

彼は10分くらいで部屋から出てきて帰っていった。

居たたまれなかったであろうと思うと本当に申し訳ない。

 

それ以来、それぞれの道を歩み、しばらく会うこともなかった。

だが兄弟と彼は接点を保ち続けていたようで、電話やメールのやり取りをしていることを、私はだいぶ後になって知った。

 

兄弟は同性の同級生、私は異性の幼馴染み、まあ、差が出てしまうのは致し方なし。

 

幼馴染みはアナウンサーになった。

彼の紹介でうちの店が取材を受け、テレビで放送されたこともある。

 

若い頃は彼のキャラにないバラエティ番組の担当になり、女装したりふざけたりと、彼を知る者の間にはかなりの波紋を呼んだ。

 

「あんな下品なことする子じゃなかったのに!」

「○○くんは礼儀がしっかりしたいい子だよ!」

 

いやいや、おばさまたち、あれ仕事だから。

そういうキャラでやる仕事だから。

いろんなおばさまたちを宥めるのに苦労した私である。

 

時は流れ、東日本大震災の発生。

 

彼は津波被害で壊滅した地区をいち早く訪れ、ラジオでレポートをしたらしい。

泣きながら、泣きじゃくりながら、必死にレポートをしたと放送を聴いた人から聞かされた。

辛かったろうね。

頑張ったね。

 

うちがずっと流していたNHKのベテランアナウンサーも、いきなり泣き出したのを憶えているよ。

キミだけじゃない。

他の局でも同じようなアナウンサー、レポーターはいたよ。

初めてあの光景を目にして涙が出るのは当然だ。

 

そして母の死後。

彼の方から兄弟に連絡があり、電話しながら2人で泣いたらしい。

おまえら優し過ぎ。

その涙、少し私にも分けてくれよ。

 

数日して、母親とともに彼は来てくれた。

母を弔いに。

 

私と会うのは高校生以来。

帰り際、「今日は○○(私の名前)ちゃんと久々に会えたことが一番よかったです」と言ってくれた。

 

幼馴染みってこういうものか……時間を一気に乗り越えられた。

 

全然変わっていない優しくて可愛い顔、礼節を弁えた大人の姿、そして親しみを込めた声音で癒そうとしてくれた。

相変わらず繊細で強い子だった。

 

また会えるかな。

会えるといいな。

大切な記憶の中と、現在進行形で生きているキミ。

本当にありがとうね。

 

幼馴染みの話でどわーっと何かが心から噴き出して、更新を一時間以上も過ぎてしまった。

3000字超えてるし…(2記事書けたろうという浅ましい考え)。

急いで上げます。

 

それではまた。

 

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