そもそも「私の場合」意欲とは何なのか
昨日までの2日間は、デジカメを触る気にさえなれなかった。
おそらくブログ開始以来、初めてのことだと思う。
昨日は数ヵ月前に撮影したものを、どうにか1枚載せた。
内容と関係のない画像を載せるのはいつものことだが、その1枚の作業すら、しんどく感じながら。
自分では「意欲がない」と思い、今日は気合いを入れて外へ。
思ったより風が冷たかったけど、とても安心感のある心地よさ。
カメラの電源をONにした瞬間から、すべてを忘れてターゲットに集中した。
それでは深いようでとても浅い話を。
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いつもの石灯籠とカエル これは「意欲」と言えるのか
カエル飽きたと言われても載せ続ける。
これでも控えめのつもり。
「カエル殿、お尋ね申す」
心の中で問いかけただけなので、ご心配なく。
「デジカメは趣味なのに、昨日まではその気にさえなれなかったのだが、今日はちぃとばかし気合いを入れたらできたのだ。気分がいい。しかしながら『意欲』とは違う気がするのは何故であろうかの……」
カエル殿は「知らんがな」とばかりに黙したまま。
いつもの電柱(カラスもいるよ!)振り返ってみた今日の行動
晴天の下の電柱は凛々しく、実に清々しい風情を漂わせている。
電線のカラスも思わずうっとり見つめているではないか。
そういえば食事後の後片付けをしたな……と急に思い出した。
水仕事をすると急激に倦怠感に襲われる私は、しばらく遠ざかっていたにも関わらず。
そして次々に思い出す。
数日前も、夏のもっとも衰弱した状態の頃も、時々洗い物などの水仕事をしていたことを。
体調が悪くても、トイレ掃除も当たり前のように毎日していた。
無理をしているのではなく、ごくごく自然に。
「あれも『家事』だよね?」
心の中で、次は電柱に問いかけてみる。
「家事も介護もできなくなったって思い込んでたけど、思い返せば細々としたことはやってる……これって『意欲』?」
電柱はそもそも人の話を聞いていない。
24時間、人々に電力を届けることに集中しているのだ。
頼もしい限り。
ケンシロウ(うちわ)がいた!
うちのあまり行かない部屋に行ってみると、なんとケンシロウうちわがあった。
載せていいかわからないので、ビビりの私は撮影したけど載せない。
魅力的なキャラばかりですが、私もケンシロウが一番好きです!
このうちわは私の宝として、命ある限り守り抜く所存です。
画像の代わりに宣伝をしよう。
というわけで、なぜか家の中にいたケンシロウ。
「おまえはもう……」
「死んでないから!!!」
あっという間に話は終わり、私はうちわ片手に部屋に戻った。
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到達した「私の場合」の浅い結論
私は元々料理が苦手だった。
それでもやるしかなくて必死にやってきただけ。
母はすべてが完璧な主婦で、私にも同じクォリティを求めたが、到底無理な話だ。
自宅でホームページの運営をしていたため、母が家事をできなくなってからは、私1人でやっていた。
したいか、したくないかという問題ではなく、自然に回ってくる役回りであり、やるしかないことだから。
つまり「意欲」とは無関係。
家事ができるからといって、意欲を持てたわけではないのだ。
私の場合は。
自分のためのこともできるようになった時こそ、やっとセルフネグレクト脱却の道筋が照らし出される。
それが意欲というものの個人的な結論だ。
たいした結論でなくて誠に申し訳ない。
抗うつ薬サインバルタには「意欲低下を改善する」効能があるとのこと。
「意欲」がどういうものかも忘れてしまった私に、果たして効き目はあるのか。
ブログを書き続けるのは「意欲」だと思っていたが、最近考え過ぎることが多いせいか、よくわからなくなってきた。
でも意味不明な不安は薄れてきているので、効いているのは確か。
うつ病とセルフネグレクトの関連性をじっくりと調べてから書くつもりだったのに、いつになることやら。
まずは薬に慣れて、倍にしても慣れて、「意欲」というものを思い出したい。
それではまた。
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